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<独眼竜挑んだ道 生誕450年>第3部 豊穣(3)香道/人脈広げ存在感増す

伊達泰宗さんの門下生が精神を統一し名香を聞く。政宗が寄与した芸道が現代に受け継がれている=仙台市青葉区の伊達遊学舎
政宗が五郎八姫に与えた柴舟(瑞巌寺蔵)

 香木が放つ良い香りを鑑賞する香道。古来、ベトナムなどで産出する伽羅(きゃら)などの希少な香木が輸入され、日本独自の芸道として発展した。
 「伊達家の香道は室町時代から伝統として受け継がれてきた」。仙台市内で香道の教室を開く伊達家18代当主の伊達泰宗さん(58)はこう説明する。
 一族の中でも伊達政宗は抜きんでた存在だった。京都で公家を招いて組香と呼ばれる競技会を催し、歴史に残る名香を所持して香道の歴史に寄与した。

 数えで60歳だった1626年7月、京都の仙台屋敷で組香を催した。
 顔触れがすごい。政宗と息子の忠宗以外に招かれた11人は、江戸時代初期を代表する文化人ばかりだった。主賓の関白近衛信尋(のぶひろ)は後水尾天皇の弟で宮廷文化を担う中心人物。政宗は和歌の添削を受け、特に親しい仲だった。
 参加者は種類の異なる香木を聞き当てる競技をし、政宗は全体で2位の成績を収めた。
 この年、徳川幕府の大御所秀忠は武家として最高の太政大臣、3代将軍家光は左大臣に任ぜられることが決まった。政宗はお供として参内するため先に京都入りし、連日のように貴人を接待した。8月には政宗自身、従三位(じゅさんみ)権中納言に叙任された。
 香道のような芸道を楽しみながら人脈を広げ、自身の存在感を高める戦略が読み取れる。

 9月、後に熊本藩祖となる細川忠利から格別な名香を入手した。息子の忠宗に宛てた手紙では、謡曲「兼平(かねひら)」の一節「世のわざのうきを身に積む柴舟(しばふね)のたかぬさきよりこがるらん」から「柴舟」と名付けたと明かす。たく前から香るほどの名品という意味だ。
 当時、名香に付ける雅名は一つであるのが通例だった。政宗が手に入れた伽羅は複数の大名が分割して所有した。それぞれ「白菊」「初音」「蘭(ふじばかま)」などと別の名が付くほど異例の扱いを受け、当時から話題になった。
 政宗はこの柴舟を息子や娘、3代将軍家光や近衛信尋らに贈った。長男で初代宇和島藩主になった秀宗が所蔵した柴舟は愛媛県宇和島市の公益財団法人で受け継がれている。
 2001年、政宗が長女の五郎八(いろは)姫に与えた柴舟が宮城県松島町の瑞巌寺から見つかり話題になった。木像の胎内に長さ3センチ、幅1センチの香木が納められ、包み紙に「五郎八」と書かれていた。
 泰宗さんは「万が一の時には活用するようにという親心が感じられる」と話す。
 香道では香りを楽しむことを「聞く」と表現する。仙台市博物館の佐藤憲一元館長(68)はかつて、香会で柴舟を聞いたことがあるという。
 「えも言われぬ上品な香りが部屋全体に満ちて、とても幸せな気分に浸った」と振り返る。
 名香を聞くことは政宗にとっても、精神的な安らぎを得る手段だったのかもしれない。(生活文化部 喜田浩一/写真部 岩野一英)

【メモ】ベトナムなどに生育するジンチョウゲ科の木に傷が付き、樹液がたまった上、枯れる過程で沈香(じんこう)と呼ばれる香木になる。中でも高級品が伽羅。細川家と伊達家は香道の世界で双璧とされ、森鴎外は1912年、柴舟を巡る物語「興津弥五右衛門の遺書」を書いた。


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2017年10月19日木曜日


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