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<独眼竜挑んだ道 生誕450年>第3部 豊穣(5)武具/信仰心と機能性兼備

大崎市で9月に行われる政宗公まつりでは多くの騎馬武者が練り歩く。細い月の前立てをした政宗にはひときわ大きな拍手が送られる
政宗所用の山形文様陣羽織(仙台市博物館蔵)。当時流行した南蛮趣味を反映している

 胴を黒で統一し、かぶとの前面には金色に輝く月を配する。伊達政宗が所用した黒漆五枚胴具足。戦国武将が着用した当世具足の中では、シックなデザインと色が群を抜く。映画「スター・ウォーズ」に登場するダース・ベイダーとシルエットが似ていると話題になった時期があり、外国人にも親しまれる。
 政宗はこの具足にどんな意図を込めたのだろうか。

 政宗が誕生した1567年8月。父輝宗は息子のため、戦場で掲げる旗は日の丸、かぶとの前立てを半月と定めた。日の丸は密教で金剛界、半月は胎蔵界を象徴した。
 仙台市博物館主幹の高橋あけみさん(56)は「二つを合わせると宇宙全体を表す。仏の加護を一身に受けて勝利を目指す信仰心を表しているかもしれない」と推測する。伊達家では細い月の前立てを半月と称していたようだ。
 前立てはヒノキとみられる板に漆を塗り、金箔(きんぱく)を貼り付けた。他に黒い前立てもあった。合戦の前、吉凶を占い、金と黒を使い分けていた可能性があるという。
 戦国時代、合戦の形態は激変した。海外から鉄砲が導入され、弾丸から身を守るために具足の胴は厚い鉄の板を利用するようになった。
 政宗の具足は胴の部分を五分割できるので五枚胴具足と呼ばれた。鉄には漆を焼き付け塗装し、黒漆を塗り重ねた。ずっしりと重く、かぶとなどをフル装備すれば21.2キロに達する。身長159センチと推定される政宗には相当な体力が必要だっただろう。
 「くそく(具足)はさね(札)のよきを本とす」
 小姓が残した言行録「木村宇右衛門覚書」には政宗が具足を構成する部品の良さを重視していたことが記録されている。かぶとについて政宗は矢や弾丸が飛び交う前線では「二はねも三はねもかぶりたき」と率直な心情を明かす。黒漆五枚胴具足は機能性を重視する政宗らしさが現れていると言っていい。

 一方、政宗による「伊達者」のイメージが定着したのは92年3月、朝鮮出兵の際だとされる。京都から肥前名護屋に出発した時、政宗軍は金のとがり笠(がさ)や金熨斗(のし)の付いた太刀、豪華な馬のよろいなど派手な格好で見物人の注目を集め、「伊達をする」という言葉が生まれたという。
 この時に使われたとされる武具は現存しない。後世に作られたと思われる勝色(濃紺)金日の丸旗だけが残っている。
 奇抜な衣装で出陣した理由について、西日本の武将に比べて率いる軍勢が少なかったため、武具で存在感を示そうとしたという説がある。派手好きだった豊臣秀吉に存在感をアピールし、本陣近くにいることで危険な最前線に行かされるのを避ける狙いだったという見方もあり得る。
 「政宗の武具や装束を含め、立ち居振る舞い全体を自身の政治力アップに活用したのだろう」と高橋さんは語る。
 徳川幕藩体制が確立すると、合戦はなくなり、武具は美術工芸品として各藩で受け継がれていく。政宗の具足は戦場の緊迫感を漂わせる実用品として存在感が際立つ。
(生活文化部 喜田浩一・写真部 岩野一英)

<メモ>黒漆五枚胴具足は16世紀半ばごろに登場したとみられる。1585年、人取橋の戦いでは既に着用していた。この具足は政宗の死後、瑞鳳殿の墓所に副葬品として埋めたとされ、1974年の発掘調査では胴やかぶと、こてが出土した。


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2017年10月25日水曜日


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