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<五輪霧中 大会理念を問う>(1)復興の看板/被災地 踏み台なのか

登米市の宮城県長沼ボート場の入り口に掲げられた看板。政府、組織委、東京都が描く「復興五輪」の姿は見えていない

 2020年東京五輪は28日、同年7月24日の開幕まであと1000日となった。大会誘致時に掲げられた「復興五輪」は具体像が見えず、東日本大震災からの復興途上にある東北の被災地は大会への関心が盛り上がらない。政府、組織委員会、東京都は成功の道筋をどう描き、被災地は祭典に何を求めるのか。風化する復興五輪の意味を問う。(震災取材班)=5回続き
 輝く水面を秋風が吹き抜ける。登米市の宮城県長沼ボート場。小池百合子都知事が視察に訪れたのは1年前だった。「歓迎」。県道からボート場に下る道沿いには、その時に掲げられた看板が今も残る。
 「『復興五輪』の名にふさわしい」。20年東京五輪のボート、カヌー・スプリント会場候補地に突如、長沼が浮上した。ホテル建設や道路の整備、観光産業への経済効果に期待が膨らみ、地元は沸いた。
 2カ月ほど続いた騒動の末、会場は当初案の「海の森水上競技場」(東京)に落ち着いた。長沼は経費圧縮の踏み台に使われただけではないか。地元には不信感が漂った。
 登米市の寺沢豊志さん(68)は、地元の機運を高めるために「市民の会」を結成した。子どもの国際性を育む場にしようと、地元の小中学校に応援担当国を割り当てる青写真も描いた。
 「子どもたちが外国人に接して英語の必要性を肌で感じるチャンスだった」。期待した復興五輪のレガシー(遺産)があっけなく消え去ったことを悔しがる。
支持獲得に利用
 震災は、五輪の招致活動に深く関わっていた。
 都が16年五輪の招致に失敗した原因の一つは、国内支持率の低さだった。「一極集中」「独り勝ち」と地方から批判を浴びた。「復興五輪」は、東京だけでなく日本全体のイベントに変える絶好の掛け声になると考えられた。
 当時の都知事猪瀬直樹氏は「震災で打ちのめされた日本国民を立ち直らせる希望をつくる必要があった」と明かす。復興五輪は被災地に限ったメッセージではなかった。招致委員会の狙いは当たり、50%に低迷していた国内支持率は70%の合格ラインに到達した。
 東京開催の意義付けとも密接に絡んだ。開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会の最終プレゼンテーションがそれを象徴する。
 強調されたのは「スポーツの力」。原点は被災地を訪れたアスリートの実体験だった。スポーツが笑顔を育み、希望をもたらし、人々を結び付ける−。登壇者たちは口々に訴えた。
価値継承に期待
 IOCは東京五輪に何を期待するのか。内閣府の大会推進本部の芦立訓(さとし)総括調整統括官は「スポーツの力のすごさ、無限の価値を端的に語り継いでいるかどうかに関心があるのではないか」と語り、被災地の関わり方が大会の成否を左右すると推測する。
 政府、組織委、都にとって、被災地は単なる踏み台か。それとも五輪を成功に導くパートナーか。
 「長沼騒動」で抱いた被災者の思いを寺沢さんが代弁する。「スポーツの力のすごさを身をもって伝えられるのは被災地の人間だ」。20年夏、被災地にも当然、世界の目は注がれる。


2017年10月28日土曜日


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