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<仙台いやすこ歩き>(68)栗ヨーカン/手作りの味と技を守る

 あまりにも身近過ぎて、あって当たり前になっている故郷の「大切」なもの。そんな一つが白松がモナカの「栗ヨーカン」だ。山々が色付くと、遠方に住む叔母がこの味を恋しがる季節になったなと思う。
 今回、2人はJR仙山線で白松がモナカ本舗の赤坂工場(青葉区芋沢)にやって来た。360度を見晴らす秋景色に「わぁ〜、いい眺め」と画伯も深呼吸。青葉区といえども自然度がぐんと高い。ちり一つなく掃き清められた工場の門で待っていてくれたのは、工場長の星賢三さん。早速、工場を案内してくださった。
 大きな棟が二つ、工場はベランダからガラス越しに作っているところが見られる構造だ。あんを作る部署を要に、ヨーカンとモナカの各製造ラインがゆったりと配置され、完璧な衛生服に身を包んだ職人さんたちが、静かな活気をまといながら仙台の銘菓作りに励んでいる。
 2棟の間には運動場のような広々とした空間。「ここでは寒い季節、寒天作りをするんですよ」と星さん。伊豆の海で採れるテングサをところてん状にし、ここで天日干しするのだそう。山からの西風が吹き抜け、寒天作りにぴったりの場所。「この空間も工場なんだね」と感心していると、驚きは他にも。
 大きな建物の他に、「木箱部」と札を掲げた棟があり、なんと、贈答用の木箱まで作っている。さらに、裏手には広々とした田んぼと栗林。モナカの皮の原料になるもち米を作り、栗は試験栽培しているそう。こうした自社栽培は宮城県色麻町でも行われているという。「栗林は一山あります」。「えぇっ!」。原材料への並々ならぬこだわりが見えてくる。
 いよいよ見学は栗ヨーカンを詰める工程へ。すでに紙箱にアルミニウムの内包がセットされ、そこに、職人さん2人が、あんと栗を間合いを見ながら流し入れていくのだ。想像もしなかった光景に思わず息をのんで見入るいやすこ。1本できたところで「ここも手作業だったんですね」「2人の息が合わないとできませんね」と息を継ぐように言葉が出てしまう。
 「一つ一つの作業が品質なんです」と星さんがにっこり。1932(昭和7)年の創業から今年で85年の白松がモナカは、その味と技の継承のために勉強会も行っている。そこにはOBの方も来て技の伝授が行われているのだそうだ。
 敷地内には和菓子の神様、お稲荷さん、そして、創業前の厳しい時代に初代の夢枕に立った仙人を祭ったお社が並ぶ。
 和菓子作りを目指していた初代は、作ってはつぶし作ってはつぶしを繰り返していたそう。夢枕に立った仙人の着物には「白松」と書いてあり、それから長年の苦労が実った初代は、本名も白松に変えたのだ。門の近くには白松の大木が美しい枝ぶりを見せていた。
 お土産にいただいた栗ヨーカン。ワクワクしつつ慎重に切ると、みっちりとしたあんに、黄色いまん丸な大きな栗。「あーぁ、食べちゃうのもったいないね」と言いながら、2人はにこにこ。滑らかな舌触りとおいしい栗の存在感に、一切れ、そして一切れと秋の宵をほっこり楽しむのであった。

◎戦国時代料理から菓子に

 ヨーカンには、主に練りヨーカンと蒸しヨーカンがある。
 ヨーカンとは、鎌倉時代に禅僧などにより、禅宗とともに日本にもたらされた中国の点心から発展した和菓子。漢字で書くと「羊羹」。
 この「羹」とは本来点心の「羹(あつもの)」を指し、羊羹は羊の肉の汁物だった。羹を日本にもたらした禅僧たちは、魚肉食を禁じられていたため、小豆や大豆、米、小麦など穀物を粉にして練って成形した蒸し物に、汁をかけて食べていた。
 長い間、料理として扱われていたヨーカンが菓子になるのは戦国時代。料理として供される一方で、茶席の菓子としても登場するようになる。
 1603年日本イエズス会刊行の「日葡(にっぽ)辞書」には、「羹は豆や小麦と粗糖または砂糖で作る。日本の甘い菓子の一種」と記されている。江戸時代、寒天を使った練りヨーカンが作られるようになり、それまでの蒸しヨーカンにない繊細な味わいが人気で、日本各地に広まった。
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 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2017年10月30日月曜日


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