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<独眼竜挑んだ道 生誕450年>エピローグ(上)今も生きる親子の絆

「歴史姉妹都市となっている宇和島市と仙台市の連携をさらに強めたい」と語る伊達宗信さん=宇和島市の天赦園
宇和島市中心部を一望できる高台に宇和島城の天守閣がある

 生誕から450年の時を超えて伊達政宗が多くの人を引きつけるのはなぜか。次世代に何を伝えるべきか。血筋を継ぐ人や識者に尋ねた。

◎宇和島伊達家13代当主伊達宗信さん(46)

 −愛媛県西部の宇和島市は政宗の長男秀宗が初代藩主となった宇和島藩の城下町。歴史について教えてください。
 「1614年、徳川幕府は大坂の陣に参陣した政宗公に宇和島10万石を与えました。秀宗公は豊臣秀吉の人質として育てられた経緯などから仙台藩を継がず、翌年宇和島入りして藩主となりました。幕末の藩主宗城(むねなり)公は明治維新後、大蔵卿となり財務省の礎を築きました」
 −政宗の生誕450年の今年、何を思いますか。
 「親子の絆が生き続けていると感じています。宇和島伊達家は政宗公が秀宗公に送った『貞山公御教諭』を大切にしてきました。『人と人のつながりを大切に。文武両道』などの内容が書かれ、家訓のようなものだと思っています」
 「私が理事長を務める公益財団法人・宇和島伊達文化保存会は7代藩主が造った庭園『天赦(てんしゃ)園』を公開しています。石を敷き詰めて川に見立てた枯川という名所があります。上流は仙台の方向を向いているんです」
 −宗信さんと宇和島との関わりは。
 「私は東京で生まれ育ちました。宇和島はお盆に墓参りをし、釣りを楽しむ場所でした。真珠やタイの養殖、かんきつ類の生産が盛んでした。繁華街は通行人の肩がぶつかり合うぐらい混み合っていました」
 「百貨店に勤務し、多忙を極めていた2008年、父が急死しました。しのぶ会を開いていただくため久しぶりに宇和島を訪れました。にぎやかだった昔とは違う街を見て衝撃を受けました。悩みましたが1年後に会社を辞めました。地域の歴史と文化を継承するのが僕の宿命だと決断しました」
 −どんな活動をしましたか。
 「まず祖父の代につくった宇和島伊達文化保存会の理事長を継ぎました。宇和島伊達家が受け継いだ4万点近い文化財や文書を管理し、宇和島市立伊達博物館などに貸し出しています。博物館は秀宗公が政宗公から拝領した名香柴舟などを展示することがあり、伊達文化を発信しています」
 −宇和島を舞台にした映画「海すずめ」の製作に中心的に関わり、昨年公開したそうですね。
 「地元出身の映画監督大森研一さんと『若人からお年寄りまで心に響く作品を』と語り合ったことがきっかけです。市立図書館に勤めながら作家を目指す女性が奮闘する物語です。15年の『宇和島伊達400年祭』が重要な背景となっており、歴史について知ってもらうことが狙いの一つです」
 −宇和島と仙台の関係について。
 「最近、民間交流が活発化してきました。宇和島信用金庫(宇和島市)と宮城第一信用金庫(仙台市)が14年、業務提携したことが大きいです。今後、養殖タイが仙台で提供されたり、牛タン店が宇和島に出店したりすれば、若い人たちにも歴史的な結び付きに気付いてもらえるはず。人口減や高齢化に直面する宇和島にとって交流人口の拡大は絶対に必要です」
 「東日本大震災の直後、お見舞いを兼ねて仙台を訪れ、伊達家18代当主の泰宗さんにお会いしました。初対面にもかかわらず温かい言葉を掛けていただき、大変感動しました。今後も仙台・東北の皆さんと幅広い分野で助け合う関係を続けたいです」

(生活文化部 喜田 浩・写真部 岩野 一英)

【だて・むねのぶ】1971年東京生まれ。国士舘大政経学部卒。1997年〜2010年、小売業の丸井で勤務。公益財団法人宇和島伊達文化保存会理事長、南豫(なんよ)奨学会理事長。東京都目黒区在住。


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2017年10月31日火曜日


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