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<仙山線 全線開通80年>新幹線“発祥”の地 交流電化、高速運転の礎に

仙山線での交流電化試験開始からわずか10年後、東海道新幹線が開業。東京駅で出発式が行われた=1964年10月1日

 JR仙山線は10日、全線開通から80年を迎えた。
 鉄道関係者やファンにとっては、日本の鉄道史に輝く歴史の舞台として名をはせる。戦後、鉄道の高度化実験の場として新幹線開発の基礎となり、国内の鉄道網を発展させる技術を生んだ。

 戦後、鉄道動力の電気化が広がる中、膨大な投資が必要な直流電化に対しコストが抑えられるとして注目されたのが交流電化だ。
 明治から戦前にかけ、ドイツで実用化された世界初の電気機関車が直流電力を使用したため、日本の鉄道も直流が一般的だった。車両製造費が抑えられる一方、発電所から送られた電気を直流にしたり、電圧を下げたりする変電所を数キロおきに設ける必要があるなどコスト面に課題があった。
 列車の運行本数が少ない地方では、車両自体に整流器や変圧器を搭載し製造費が割高になっても、変電所を造らなくて済む方が経済的メリットが大きかった。
 仙山線は山あいを走るため坂道が多く、試作機関車の性能試験に適していた。1日当たりの営業運行が少なく、試運転の時間を確保しやすいことも試験線に選ばれた理由だ。
 架線の敷設は1954年8月に始まった。広瀬川に架かる橋の上は危険を伴う難工事となった。翌55年8月10日、陸前白沢駅で試運転を開始。発車直後に立ち往生するトラブルもあったが、参加者165人を隣の熊ケ根駅まで届けた。
 交流電化はフランスが実用化に成功していた。当時の日本には知識や経験がほとんどなかった。試験に携わった技師は「暗中模索の試行錯誤と体当たりの実験の連続だった」と回想する。
 試験は成功に終わり、57年9月に仙台−作並間で日本初の交流電化開業。その後、車両や変電設備の技術が向上し、東北線の交流電化区間も急速に拡大した。
 交流電化によって高圧の電気を安定的に送電できるようになり、大きな電力が必要な高速運転が可能になった。変電所が少なく、トンネルが多い山岳部の走行も容易になった。仙山線で培った通信線や地下ケーブルの技術が、東海道新幹線開業に生かされた。


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2017年11月10日金曜日


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