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<私の復興>被災地に希望の桜を

宮城農高の旧校舎に残った桜を組織培養し、生まれた桜を見詰める佐藤さん。後ろは3年間過ごした仮設校舎=名取市高舘川上

◎震災6年8カ月〜仙台市若林区 宮城農高3年・佐藤亜記さん(18)

 廃虚に咲く1輪の桜の写真に心を奪われた。私はまだ生きているよ。そう訴えているようだった。
 「すごく厳しい環境を生き抜いた。後世に残したい」
 3年前、宮城農高に入学し、科学部に入った。写真は2011年春、東日本大震災で被災した名取市下増田の旧校舎で津波に流されずに、花を咲かせた桜だった。
 同校は12年、生き残った桜3種6本の遺伝子の保存に成功。科学部は苗木を増やし、名取市、岩沼市などの公園や再建した住宅に植樹する復興支援を始めていた。
 科学部の一員として、支援活動にのめり込んだ。旧校舎の桜の子孫をフラスコで培養したり、接ぎ木したりして少しずつ増やした。
 植樹しても枯れてしまう桜は少なくない。原因は塩害と強風。ネットや箱で覆ったが、今度は枝が伸びにくくなった。成長に合わせてネットを継ぎ足すのも一苦労だった。
 「塩害に強い植物を桜の周りに植え、風よけにできないだろうか」。仲間と試行錯誤し、たどり着いたのが多年草のナデシコだった。丈は50センチほどで桜の苗木を風から守る。苗木とナデシコの間に桜の落ち葉がたまり、やがて豊かな腐葉土になる。
 成長を阻む塩害と強風に対し、一石二鳥の効果を期待する。今年6月、岩沼市の千年希望の丘で、150本の桜の周りにナデシコを植え、実証中だ。
 自身も被災地に成長させてもらった。内向的な性格で人と話すのが苦手だった。植樹や生育調査で被災者宅を訪れた際、どう話して良いか分からなかった。「回数を重ねるうちに、人との触れ合いが楽しいと感じた」。桜の塩漬けを作って桜湯を振る舞ったこともある。
 「春の香りがするね」「来年も花が咲くかな」「宮農さん、頑張っているね」。被災者の言葉一つ一つが励みになった。
 震災時は小学5年生。仙台市西部の自宅に被害はなかったが、ラジオが伝える甚大な被害情報におびえた。中学生まで沿岸部に行けなかった。高校入学後、被災地を訪れるようになったが、そのたびに涙が流れた。
 「犠牲になったのは自分の知らない人たち。それでも、幸せな空間がここにあったんだろうと想像してしまう。供養の気持ちも込めた活動だった」
 3年間の取り組みをつづった作文は、第13回全国高校生・高等専修学校生「私のしごと」作文コンクール(NPO法人仕事への架け橋主催)の最高賞「文部科学大臣賞」に選ばれた。23日、東京都内で表彰式がある。
 <大震災から生き残った瀕死(ひんし)の桜は私に希望という「種」を与え、被災地の課題や笑顔は私を成長させる大切な「水」となった>
 題名は「サクラサク未来へ」。込めた願いは二つ。
 震災後も命をつないだ桜がこの先も咲き続くように。そして、被災地に笑顔が咲くように。(報道部・庄子晃市)

●私の復興度・・・0パーセント

 部活動で被災地と交流し、たくさんの笑顔を見られたことは一生の思い出。ただ、どうなったら復興と言えるのか正直、分からない。震災前と同じように建物が元に戻ればいいというのは違う気がする。元気に見える被災者も実際はだいぶ疲れているように感じる。3年間の活動は復興支援だったのか何かの満足のためだったのか悩みもある。


2017年11月11日土曜日


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