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<あなたに伝えたい>2人の成長ずっと見守って

津波で流された自宅近くで記録誌を抱え、震災を振り返る敬子さん

◎小野寺敬子さん(気仙沼市)から萬さんへ

 敬子さん 口数が少なく、お酒も飲めない父でした。自宅近くの畑でネギや白菜、枝豆などを作りながら静かに暮らしていました。
 震災当日、近所に住む寝たきりの義理の姉の様子を見に行ったようです。外に運び出そうとしていた姿が目撃されています。
 若い頃はノリやワカメの養殖をしたり、鉄工所で働いたりしていました。退職後は孫をかわいがり、よく面倒を見てくれました。
 幼稚園への送り迎えは父の当番。手をつないで歩きながら花の名前を教えてくれたり、絵本を読んでくれたり。文章を丸暗記するぐらい読み込んでいました。長さ7メートルのこいのぼりを買ってくれたこともあります。
 遺体を確認できたのは2011年5月6日。ちょうど長女の20歳の誕生日でした。みんな「おじいちゃんからの誕生日プレゼントだよ」と話していました。悲しいような、うれしいような。最後の最後まで孫思いでした。
 自宅が流され、父も亡くなった杉ノ下地区の住民の被災体験をまとめ、16年に記録誌を自費出版しました。父のことも含め、地域で起きたことを子どもたちに伝えたいと思ったのも書くきっかけです。
 生前、父の生い立ちを詳しく聞いたことはありませんでした。震災から2年ぐらいたち、母に「父の人生は幸せだったのかなあ」と聞いたら、母は「2人の孫を授かり幸せだったはずだよ」と言ってくれました。
 今、長男は29歳、長女は26歳。働いている姿を見せてあげたかったなあ。いつまでも子どもたちの成長を見守っていてくださいね。

◎孫たちをかわいがってくれた寡黙な父

 小野寺萬(よろず)さん=当時(80)= 気仙沼市波路上で妻、長女の敬子さん(56)夫婦、孫2人の6人で暮らしていた。東日本大震災時、近所に住む寝たきりだった義理の姉を避難させようとして津波に襲われたとみられる。約2カ後に小泉海岸付近で遺体が見つかった。


2017年11月12日日曜日


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