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<徳陽破綻20年>人生一変、転職先で地道に 金融以外で大半が苦労

徳陽シティ銀行の金文字や行員バッジを前に往時を思い返す阿部さん(右)ら元行員

 第二地銀で仙台市に本店があった徳陽シティ銀行が1997年11月に経営破綻してから、26日で20年となる。当時は北海道拓殖銀行や山一証券など大手金融が相次ぎ破綻。バブル崩壊後の不良債権問題に伴う金融不安が東北に押し寄せた。元行員が20年を振り返った。
 「取引先で親身になり相談に応じていると『徳陽の香りがする』と言われた」
 破綻後、仙台銀行に再就職し、昨年末に定年退職した菊地純さん(61)=仙台市若林区=が語る。徳陽時代は営業畑が長く「全ての人と取引する」が信条だった。仙台銀でも徳陽で培った営業手法を変えなかった。
 徳陽の取引先は8000社を超えていた。「苦しい時に助けられた」と懇意にする中小企業は多く、同行は地域経済を支え続けた。
 一方、バブル期に事業を急拡大させた不動産、レジャー業者への融資が不良債権化。信用不安で株価下落と預金流出の連鎖が止まらず、資金繰りがショートした。
 行員約1200人の人生は一変した。
 銀行や信用金庫に転職できた人は少なく、大半は金融以外への転職を余儀なくされた。製造業や商社のほか、宮城県や仙台市の職員になった人もいた。
 石田政勝さん(59)=大崎市=は電力関連会社に再就職した。「最初は『破綻した銀行から来た人』と言われたが、地道に働いて周囲の見方が変わった。みんな、それぞれの場所で苦労を重ねた」と思い返す。
 行員の再就職は、従業員組合の役員らが仲介した。相談窓口を担当した阿部百合子さん(64)=青葉区=は「新しい職場になじめず、怒鳴り込んできた人もいた」と明かす。「20年が過ぎた今は、全てがいい思い出。同級会でも堂々と徳陽出身と言える」と語る。
 従業員組合は99年3月、青葉区一番町に徳陽の金文字看板やバッジ、店舗の写真を収めた「徳陽会館」を開設。元同僚が集まって往時をしのび、近況を語り合う場となった。組合費や共済費の余剰金を使って阿部さんらが管理するが、訪れる人は年々減っている。
 組合委員長を務め、徳陽会館で保険代理店を営む三浦俊郎さん(67)=青葉区=は強調する。
 「当時を思い出したくない人もいるが、資金が続く限り会館を残したい。みんなをつなぐ唯一の場所だから」

 [徳陽シティ銀行]1942年に宮城県内の無尽会社3社の合併で発足した三徳無尽が前身。51年に徳陽相互銀行となり、90年には普通銀行の徳陽シティ銀行に転換した。94年、殖産銀行(現きらやか銀行)、北日本銀行との合併を発表したが、徳陽の多額の不良債権が足かせとなり破談。資金繰りに行き詰まり、97年11月26日に経営破綻した。98年11月、銀行業務を終え、仙台銀行など13金融機関に分割譲渡された。


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2017年11月25日土曜日


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