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<回顧17みやぎ>(3)「塩釜・勝画廊」保存/地域の宝 官民で守る

塩釜神社境内の高台にある勝画楼。建物からの眺望が優れていることから、その名が付いたと伝わる

 東日本大震災から7度目の年越しを迎える。復興へと地道な歩みを重ねた2017年。被災地を置き去りにした解散風が吹き、大型選挙が相次いだ。学校現場では再び尊い命が失われ、問題の根深さが浮き彫りとなった。県内であった出来事を記者が振り返る。

 宮城県塩釜市の歴史文化を研究するNPO法人「みなとしほがま」が今年刊行した4冊の冊子『市民が作る塩釜歴史案内』が手元にある。第2集は「勝画楼(しょうがろう)」の歴史を紹介する。
 塩釜神社を管理する別当寺として栄えた法蓮寺の旧書院。江戸期の建築で、明治以降は民間に売却され、貸座敷や料亭としてにぎわった。昭和30年代に塩釜神社に譲渡された後も催しなどで使われていたようだ。冊子を読むと、昭和30〜40年代の様子を知る女性が思い出を語っていた。
 「塩釜の迎賓館のようでした。結婚式を塩釜神社で行い、披露宴は勝画楼で行うことがはやりました」。今は誰にも使われずにほこりをかぶり、傷みが進む建物の往時の姿が、市民の記憶に鮮明に残っていた。
 佐藤昭市長は9月、老朽化を理由に神社が解体を決めていた勝画楼を無償で譲り受け、現地で保存することを明らかにした。
 解体やむなしだった当初の方針を転換したのは、仙台藩主が愛した「武家の接客空間」という歴史的価値が市の調査で一層高まったからだ。「保存を求める多くの意見をもらった。期待に沿うことができた」。佐藤市長がほっとした表情を見せたのが印象に残る。
 神社が解体を決めたことが結果的に、忘れられていた地域の宝の存在、価値を浮かび上がらせた。保存を求めて市議会は決議し、市民グループは署名活動をした。当事者の神社と市だけではなく、塩釜を挙げて保存にこぎ着けた取り組み自体を遺産と言いたい。石碑に刻みたいぐらいだ。
 課題は建物をどのように修繕し、活用するか。市教委は詳細な調査を実施し、建てられた経緯を見極めた上で文化財の指定を目指す。担当者は「残された『宝』の使い方を市民と一緒に考えたい」と説明する。
 本紙に4月、保存を求める意見を投稿した東北学院大の斎藤善之教授(商業史)は「市民や観光客に一般公開し、塩釜の観光名所として明確に位置付けてほしい」と要望する。
 勝画楼は残った。どこぞの百万都市のように古い建物をなくして新陳代謝を図るのもまちづくりだし、歴史や記憶の象徴として建物を残していくのも、まちづくりである。
(塩釜支局・山野公寛)

[メモ] 塩釜神社は2016年12月、倒壊の恐れがあるとして勝画楼の解体を決定。これを受けた市の調査で建物は年代の異なる2棟を接続した複合建造物と判明。18世紀初め以前に法蓮寺客殿が建築され、同世紀中期に書院棟を造営、19世紀に改修したとみられる。


関連ページ: 宮城 社会

2017年12月16日土曜日


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