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<インパール作戦>佐藤中将の菩提寺にインドの青年から鎮魂と友好願う油絵「今も現地住民に慕われていることに感銘」

寄贈された油絵を佐藤中将の墓前に供え、読経する阿部住職=8日、山形県庄内町の乗慶寺

 第2次世界大戦後期に現在のインド北東部で旧日本軍が展開したインパール作戦の指揮官の一人で、兵の命を救うため軍の命令に背いて撤退を決めた佐藤幸徳中将(1893〜1959年)の墓がある山形県庄内町の乗慶寺に、日印友好を願うインドの青年たちから油絵1枚が贈られた。
 絵を贈呈したのは、インパールを州都とするマニプール州と佐藤中将が撤退を決めたコヒマを州都とするナガランド州の青年たち。英国の団体の仲介で絵の寄贈を発案し、インパールの著名な画家が戦時中に現地住民が良好な関係を保っていた日本兵に食糧を提供する様子を縦60センチ、横1メートル20センチのキャンバスに描いた。
 青年たちは11月上旬に訪日した際、インパール作戦で大勢の犠牲を出した日英の和解・交流を進める庄内町の「英国と日本の国際理解と交流を促進する会」の代表者と面会。佐藤中将が現地で今も尊敬されていることなどを伝え、絵画を寄贈した。「促進する会」は、佐藤中将の菩提(ぼだい)寺で3年前に日英両国の犠牲者の追悼法要を行った乗慶寺に絵画を引き渡した。
 乗慶寺で8日に奉納セレモニーが行われ、保科一彦会長(78)が「インドの青年たちは、絵画の寄贈を契機に庄内町や英国との友好を発展させたいとも話していた」などと報告。阿部伸世住職(71)は「70年余りたった今も、現地住民に佐藤中将が慕われていることに驚きと感銘を受けた。堂内で参拝者に見える形で展示したい」と話した。
 佐藤中将は1944年3月に始まったインパール作戦で、英領インドへの侵攻を進めた際、飢餓や感染症のまん延を受け前線からの撤退を決めた。日本軍で極めて珍しい「抗命事件」として師団長を解任されるなど、不遇のまま没したが、1万人超の命を救ったとして再評価されている。
 佐藤中将の兄の孫で、現在も庄内町に住む佐藤成彦さん(70)は「インドの若い方々と庄内町が交流を持てたことに、幸徳さんも喜んでいると思う」と話した。


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2017年12月19日火曜日


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