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<1951年の宮城>被写体の漁師「じっちゃんだ」石巻の91歳村田さんと判明

アランさんから送られた若き日の写真を手にする村田さん

 米国人医師が1951年に宮城県内各地で撮影した写真を紹介するウェブサイト「Miyagi 1951」に掲載された若い漁師が、石巻市月浦の村田敏雄さん(91)と判明した。大人や子どもの写真を数多く載せているが、人物の特定につながったのは初めて。被写体の情報を求めてきた医師の長男は対面を心待ちにしている。
 「Fisherman(漁師)」というタイトルのカラー写真に写るたくましい上半身の男性が、当時25歳だった村田さん。サイトを見た知人が、「じっちゃんじゃないか」と同居する長女の秋子さん(67)に教えてくれたという。
 秋子さんは「若い時の父の写真を見るのは初めてで、びっくりした。今、病気一つしないのは重労働で鍛えたこの体のおかげだ」と語る。
 写真は米軍医だったジョージ・バトラーさん(74年に62歳で死去)が、米軍松島キャンプ(東松島市、現航空自衛隊松島基地)に駐在した際に撮った。51年夏頃に牡鹿半島を訪ね歩いた際の一枚で、他にも昔の浜の風景が切り取られている。
 村田さんは撮影されたことを覚えていないが、「近くの荻浜に米軍が上陸したことがあって、その時かもしれない」と振り返る。
 村田さんは幼少時から月浦地区で暮らす。撮影当時は定置網漁に従事し、80歳前に引退するまでカキ養殖を手掛けた。東日本大震災で32軒あった地区の住宅はほとんどが津波で失われ、4人が亡くなった。村田さんの自宅は高台にあったため難を逃れた。
 サイトはバトラーさんの長男アランさん(68)が被写体の情報を得るために始めた。アランさんは来年5月に宮城県を訪問することを計画しており、「ようやく人物が特定でき、とてもうれしい。村田さんにぜひお会いしたい」と話している。


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2017年12月21日木曜日


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