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<楽天>夢のあとさき(下)相原和友/一瞬の輝き プロの時間 人生の宝物

勤め先でグラブを修理する相原。この職に就いて1年がたち、手さばきも板についてきた=19日、仙台市内

 元東北楽天の相原和友投手(28)は、あの日の光景を今も鮮明に覚えている。
 プロ1年目の2014年4月29日。初めて本拠地コボスタ宮城(現コボパ宮城)のマウンドに立った。先発の美馬が負傷し、二回からの緊急登板だった。
 0−2の三回、無死満塁のピンチを招いたが、強気の投球を貫き、左飛と遊ゴロ併殺と無失点で切り抜けた。ベンチに戻りながらスタンドを見渡した。休日のデーゲーム。観衆は2万958人の大入りだった。
 今まで客席から見ていた場所に自分がいる。「とにかく歓声がすごかった」。万雷の拍手と声援が胸に染み込んだ。

<4失点喫し降板>
 仙台生まれの仙台育ち。仙台市広瀬中3年の秋、地元にプロ野球チーム、東北楽天が誕生した。「ここで野球ができたらどんなに幸せだろう」。強豪の宮城・東陵高から東北福祉大に進み、学生時代はチームメートとよく試合を観戦した。
 12年に地元の名門社会人チーム・七十七銀行に入ると、1年目から頭角を現した。プロを目指し、14年にドラフト7位で東北楽天入団を果たした。
 10年越しの願いがかなった。しかし、プロ生活は、わずか3年で終わった。
 1軍最後の登板も休日のデーゲーム、満員のコボスタ宮城だった。16年8月28日。大量ビハインドの場面で登板し、回またぎした九回に1死も取れず、4失点して降板した。
 あの日とは打って変わった失望のざわめきがスタンドを包んだ。「通用しなかったな」。野球人生が終わった、と予感した。
 2カ月後の10月23日、戦力外通告を受けた。

<野球道具を販売>
 5分ほどで話を終え、球場のクラブハウスを出ると、待っていたファンにサインを求められた。同じ立場だった他の選手は避けるように通り過ぎていった。相原はスーツ姿のまま応じ、最後の一人まで丁寧に書き続けた。3年間続けた、いつもの姿だった。
 今はプロでの知識と経験を生かそうと仙台市内の野球用品店「仙台ドーム」に就職し、野球道具の販売や修理に携わっている。
 「3年でクビになるぐらいなら、七十七銀行にいた方が安泰だったのに」
 初対面の人にもよく言われる。
 愚問だと思っている。
 「元々、プロなんて考えられるレベルになかった。でも銀行に進んでプロへの道ができたから、迷わずに行った。細い道で、たどり着いたら戦力外の落とし穴にはまって終わったけど」
 笑いながら続けた。「もう一度その岐路に戻り、その後の結果を知っていたとしても、絶対に同じ道を選ぶ。プロに入ったことは僕にとって成功。大成功です」
 相原にとって「プロ野球選手」とは何だったのだろう。しばらく考えた末に、こう答えた。
 「夢。1年目は半分くらい楽しく、後の2年はしんどいことばかりだった。それでも、プロで過ごした3年間は人生の宝物です」(浦響子)

[生え抜き選手の戦力外通告と引退] ドラフト会議で本指名を受けて東北楽天に2005〜17年に入団した90人のうち、引退するか戦力外通告を受けた選手は33人で、平均在籍年数は5.2年。うち6割に当たる20人が在籍5年以内に戦力外となっている。相原のように在籍3年は6人、同2年は3人(戦力外通告から育成選手を経て支配下に復帰した5選手を除く)。


2017年12月24日日曜日


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