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<回顧17みやぎ>(12)りんごラジオ閉局/被災者の肉声 公開を

閉局間際のりんごラジオのスタジオ。町民に惜しまれながら幕を閉じた=2017年3月31日

 東日本大震災から7度目の年越しを迎える。復興へと地道な歩みを重ねた2017年。被災地を置き去りにした解散風が吹き、大型選挙が相次いだ。学校現場では再び尊い命が失われ、問題の根深さが浮き彫りとなった。宮城県内であった出来事を記者が振り返る。

 「3歳から100歳の話を聞いた」「ラジオは人をつなぐことができる」
 今月12日、3月で放送を終えた宮城県山元町の臨時災害FM局「りんごラジオ」の高橋厚・元局長(75)が町内の自宅で熱っぽく語った。
 相手はりんごラジオをテーマに卒論を書いている立命館大4年の宮崎裕海(ゆみ)さん(21)。高橋さんと妻真理子さん(68)に放送を6年間続けた思いを聞こうと町を訪れていた。
 多くの声を伝える大切さを語る高橋さんの言葉に、ラジオのスタッフだった伊藤若奈さん(37)が閉局時にくれた1枚のCD−ROMを思い出した。伊藤さんが「この時の取材経験があって、町のことを伝え続けようと思った」と話した放送の記録だ。
 録音は2013年1月。東日本大震災の津波で家を流され、仙台市のアパートなどにいる元住民21人が市内で交流する様子が記録されている。
 冒頭、30分以上かけて自己紹介が行われた。病気療養のためだったり、子どもを頼って移り住んだりと町を出た事情はさまざまだ。声の様子や話の内容から、ほとんどが高齢者だと分かる。
 出席者がそれぞれ思うままに話し、ほぼ編集せずに放送しているので前後関係が分からない部分もある。でも、一人一人が話し終えると、古里への思いが大きな塊になっていくように感じる。
 歓談のざわめきの中、伊藤さんがインタビューをしていた。「マンション暮らしの息子に迷惑を掛けたくない」とアパートに一人で暮らす89歳の女性。男性は「友達がいないのが一番寂しい」と泣いた。
 この人たちは今、どうしているのだろう。CDを初めて聞いた時、声の主と会ったことがあるような不思議な感覚になった。
 今年9月に開館した山元町の防災拠点施設「つばめの杜ひだまりホール」に、りんごラジオを聴けるコーナーがある。生の声を大切にするりんごラジオの温かさを感じることができる。ただ、用意されているのは放送初日の様子など五つのプログラムだけだ。
 向けられたマイクに向き合い、語ったのは延べ1万人以上。震災後を生きた住民の思いを後世に伝えるためにも、町はさらなる公開を模索してほしい。(亘理支局・安達孝太郎)

[メモ]りんごラジオは2011年3月21日、災害時に被害状況や避難所の情報などを提供する公設民営の臨時災害FM局として山元町が開設した。年間運営費約1500万円は国の交付金が充てられ、10人前後のスタッフで放送を続けた。町は復興が進展したとして、16年度での閉局を決めた。


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2017年12月26日火曜日


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