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<みやぎの平成30年>(1)政令市・仙台市誕生 リーダー都市、期待担う

東北のけん引役となるべく、平成と共に歩みを進めてきた政令市、仙台。この29年間で1.2倍に増えた人口は2020年以降、減少に転じる見通しだ
仙台市の政令市移行を記念して実施されたケヤキの植樹=1989年4月1日、青葉区の勾当台公園

 新年は「平成30年」の節目の年。バブル経済真っ盛りに始まった「平成」は来春、天皇陛下の退位によって幕が引かれようとしている。「平成」はわれわれにとってどんな時代だったのか? 宮城県内であったこの29年の出来事を振り返りながら、今を見つめて、次代へとつなごう。

◎〜結ぶ、つながる〜 ◆平成元年

 平成は政令指定都市、仙台の歩みと共にあった。それは、大都市のステータスの獲得だけでなく、日本のリーダー都市への名乗りを上げる意味があった。
 「視点を東北に向け、さらには世界にも向けるようなポジションに置かれた」
 2004年10月、当時の藤井黎仙台市長は市議会で1989(平成元)年の政令市移行の意義を高らかに振り返った。
 市が86〜88年度に設置した指定都市推進事務局で政令市移行の戦略を立てた佐々木謙・元副市長(70)。その先の狙いは東京一極集中の打破だったという。
 「明治以来、中央に搾取されてきた東北を21世紀の日本のリーダーにする。そのために仙台の都市機能を高め、東北を引っ張る機関車にする必要があった」
 市などは87年、産学官で技術革新を図る東北インテリジェント・コスモス構想を策定。佐々木氏は「仙台に株式市場を開き、東京に代わる金融の中心にする計画まで練った」と明かす。
 副知事から転身した石井亨市長は84年の市長選で、公約に政令市移行を掲げ初当選。古巣の県庁だけでなく、国、経済界などと連携して実現に突き進んだ。
 仙台主導の急速な動きに反発もあった。旧泉市の市民らは87年4月「泉市を守る会」を結成。会長を務めた河相一成東北大名誉教授(85)は「泉市の自治権が侵害されているという怒りが根底にあった」と語る。
 仙台市議会で政令指定都市促進調査特別委員長だった大泉鉄之助元市議(76)は「東日本大震災からの復興を順調に進められたのは政令市として蓄えた力のたまもの。当時の選択は正しかった」と話すが、一片の後悔がある。
 「大都市の看板に満足し、分権の前提となる財源を確保しなかった。国ともっと交渉すべきだった」
 人口108万を擁する仙台市。河相氏の目には住民との距離が広がっているように映る。「住民が主人公の自治とはどうあるべきか。合併は市民を幸せにしたか」。地方創生、人口減少…。こうした命題に住民が真剣に向き合う時が来ている。(報道部・関川洋平)

[メモ]仙台市(人口71万5000)は87年合併の旧宮城町(2万9000)に続き、旧泉市(13万6000)、旧秋保町(5000)を合併し、88年3月に新しい仙台市が誕生した。人口は88万5000になり、政令市の要件とされる85万人を超え、89年4月に政令市移行が実現した。合併協議の最大のヤマ場は、旧泉市が87年11月に実施した市民意向投票。投票率74.24%で、賛成(得票率52.58%)が反対(46.85%)を僅差で上回り、合併の流れが決定的になった。


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2018年01月01日月曜日


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