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<みやぎの平成30年>(5)サン・ファン・バウティスタ号進水 夢とロマン記憶に残す

平成の時代に夢とロマンを与えたサン・ファン・バウティスタ号。老朽化で復元船としての幕を閉じようとしている
多くの見物客が見守ったサン・ファン・バウティスタ号の進水式。水上に浮かぶと大きな歓声が上がった=1993年5月22日

 新年は「平成30年」の節目の年。バブル経済真っ盛りに始まった「平成」は来春、天皇陛下の退位によって幕が引かれようとしている。「平成」はわれわれにとってどんな時代だったのか? 宮城県内であったこの29年の出来事を振り返りながら、今を見つめて、次代へとつなごう。

◎〜結ぶ、つながる〜 ◆平成5年
 「20世紀最後で最大の事業」と呼ばれた大型木造船がけん引船に導かれ、旧北上川に滑り込んだ。
 1993(平成5)年5月22日にあったサン・ファン・バウティスタ号の進水式。船体を組み立てた石巻市中瀬に大勢の見物客が詰め掛け、対岸にも人だかりができた。
 サン・ファン号はその後、同市の造船会社ヤマニシの岸壁に係留されてマストが取り付けられた。当時、同社生産管理部の部長だった街づくりまんぼう社長西條允敏さん(73)は「普段は同じ型の船を造ることが多く、あんなに大きな帆船を手掛けるのは初めてだった」と振り返る。
 最大の課題は史料がほとんどない中、どれだけ実物に近づけられるかどうかだった。長崎県や神戸市の帆船を見学し、帆を張る構造を学んで試行錯誤を重ねた。完成が迫ると、現代の法律上は航海できないのが分かっていても、「風を受けて帆走する姿を見てみたい」と憧れたという。
 380年の時を超えて再現された帆船は人々に夢とロマンを与え、えい航で海を渡って東京や気仙沼、仙台の港でも公開された。96年8月からは県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)に係留され、使節団の偉業を来場者に伝えた。
 そして忘れられないのは東日本大震災。何度も津波が押し寄せる中、復元船はドック内で最大8メートル浮き上がったが耐え抜いた。
 「復興のシンボルとして被災者に勇気を与えてくれた」と同館の浜田直嗣館長(77)。歴史を見つめ直す契機にもなり、1611年の慶長大津波から再起を願って使節団が派遣されたとの復興説も脚光を浴びた。
 しかし完成から20年以上がたち、船体は老朽化が進む。2016年3月に船内への立ち入りを禁止し、現在は有識者委員会が後継船の在り方などを検討する。時代が一つの区切りを迎えようとする今、復元船も転換期を迎える。
 浜田館長は「世界に誇れる歴史的な復元船を造ろうと完成したサン・ファン号。最後の雄姿を多くの人に見てもらい、記憶に残してほしい」と望む。 (石巻総局・鈴木拓也)

[メモ]サン・ファン・バウティスタ号は江戸時代初期に建造され、仙台藩士支倉常長ら慶長遣欧使節団を乗せて太平洋を渡った洋式帆船。先人の偉業を後世に伝えるため、出帆380年を記念して復元された。全長55.35メートル、387トン。3本マストで、中央のメーンマストは長さ32.43メートル。総工事費約16億7500万円。伝統的な造船技術を持つ数少ない船大工を集めて建造された。復元船を係留するサン・ファン館は出帆の地とされる石巻市月浦近くに整備され、震災後はしばらく休館して2013年11月に再開した。


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2018年01月06日土曜日


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