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<星野仙一氏死去>有言実行の日本一 復興の象徴に 避難所訪ね「子どもたち、負けるなよ」

日本一に輝き、東北楽天ナインに胴上げされ喜ぶ星野監督=2013年11月3日、Kスタ宮城
東日本大震災発生の約1カ月後に避難所を訪れ、被災者に声を掛ける東北楽天の星野監督=2011年4月7日、仙台市若林区の六郷中

 プロ野球東北楽天元監督の星野仙一さんが4日午前、70歳で死去した。2009年に初のクライマックスシリーズ進出を果たしながら、翌年に再び最下位に転落したチームを引き受けた星野さんは、10年秋の監督就任記者会見で力を込めた。「東北を熱くするのが私の仕事。若いチームだけに、やりがいがあるし、腕の見せどころだ」

 就任1年目の開幕を控えた3月に東日本大震災が発生。約1カ月後に選手やコーチ陣と共に仙台市若林区の避難所を訪問した。「秋には喜んでもらえる報告をしたい」と優勝を約束するとともに、「今の状況を耐えれば必ず強い人間になる。子どもたち、負けるなよ」と激励した。
 「勝って希望の光となる」と言い続け、有言実行を果たしたのが就任3年目の13年。24勝無敗の絶対的エース田中将大(現ヤンキース)を擁してリーグ優勝、さらに初の日本一を達成した。05年の球団創設から低迷が続いたチームに闘志を注入し続け、東北楽天を震災復興の象徴とした。
 「今まで楽天が勝つとは誰も考えていなかった。Bクラス(4位以下)がほとんどのチームで、震災もあった。でもな、そういう(困難に直面した)チームだから、勝てば復興途上にある人たちに勇気を与えられるんだ」という信念があった。
 体調面の不安もあり、14年限りで監督退任。15年以降は球団副会長としてチーム編成を担った。リーグ優勝を逃した昨季の悔しさを強く感じていた星野さんは、13年以来の王座奪還を懸けた18年シーズンに向けても、熱意を持ち続けていた。球団によると、「(18日予定の)コーチ会議に出られるかな」と息を引き取る直前まで語っていたという。東北の地に情熱をささげた星野さんらしい最期だった。(金野正之)


2018年01月06日土曜日


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