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<星野仙一氏死去>東北楽天日本一に導く 被災地と共に闘う

東北楽天の監督時代、選手に指示を出す星野氏=2012年7月14日、Kスタ宮城

 プロ野球東北楽天の元監督で、2013年にチームを初の日本一に導いた星野仙一(ほしの・せんいち)氏が4日午前5時25分、死去した。70歳だった。岡山県出身。中日のエースとして活躍。引退後は中日、阪神、東北楽天の3球団で監督を務め、「闘将」と呼ばれた。楽天野球団によると、膵臓(すいぞう)がんを患い、昨年末から病状が悪化していた。葬儀は密葬で行われ、後日お別れの会を予定している。

◎球団副会長、膵臓がんで闘病

 10年10月に東北楽天の監督に就任。1年目の開幕前に東日本大震災が発生し、東北が甚大な被害を受けた。「強さを被災者に届けよう」とナインを鼓舞し、3年目の13年に24勝無敗の田中将大投手(現ヤンキース)らを擁して、球団創設9年目で初優勝を果たした。巨人との日本シリーズも制し選手、監督を通じて初の日本一に輝いた。14年限りで監督を退き、球団副会長を務めていた。
 倉敷商高、明大を経て1969年、ドラフト1位で中日に入団。闘志むき出しの投球で「燃える男」と呼ばれた。巨人戦では長嶋茂雄、王貞治らと名勝負を繰り広げて35勝(31敗)を挙げ「巨人キラー」の異名を取った。74年には先発、救援にフル回転して中日の20年ぶりリーグ優勝に貢献。巨人の10連覇を阻み、沢村賞と最多セーブに輝いた。通算146勝121敗34セーブ、防御率3.60の成績を残し82年に現役を引退した。
 86年オフ、中日の監督に就任すると、抑えの牛島和彦投手ら4人を放出し、ロッテから三冠王3度の落合博満内野手(男鹿市出身)を獲得するトレードを敢行。中日では87〜91年、96〜2001年と2期11年指揮を執り、88、99年にリーグ優勝を果たした。
 中日を退団したばかりの01年オフ、野村克也監督の後任として阪神へ。金本知憲外野手(東北福祉大出)を獲得するなど、積極的な補強を進め、就任2年目の03年、チーム18年ぶりの優勝をもたらした。ダイエーとの日本シリーズには3勝4敗で敗れ退任。日本代表監督として指揮を執った08年北京五輪はメダルなしの4位だった。
 3球団で監督を計17年務め、通算成績は1181勝1043敗53分け。戦後生まれでは初の1000勝監督となった。17年に野球殿堂入りした。

<対戦が楽しみだった/長嶋茂雄元プロ野球巨人監督の話>
 あまりにも突然のことで残念でなりません。「打倒巨人」を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だからこそ、「さあ仙ちゃん、来い」と心を燃やすことができ、対戦するのが本当に楽しみでした。ご冥福をお祈りします。

<胴上げ大切な思い出/ヤンキース・田中将大投手の話>
 あまりに突然のことで信じられません。東北楽天で日本一になり、星野監督を胴上げできたことは、僕の野球人生の大切な思い出。メジャーでプレーすることを応援してくださったし、感謝の気持ちでいっぱいです。

<星野仙一氏(ほしの・せんいち)>岡山・倉敷商高から明大を経て69年、ドラフト1位で中日に入団。中日一筋でプレーし「燃える男」と呼ばれた。74年に沢村賞を受賞。現役通算成績は146勝121敗34セーブ。87年から中日監督を2度にわたり計11年務め、88、99年にリーグ優勝。02年から阪神監督となり、03年に18年ぶりのリーグ優勝を果たした。08年北京五輪の日本代表監督。10年10月に東北楽天の監督に就任し、13年に球団初の日本一に輝いた。監督通算成績は1181勝1043敗53分け。14年限りで退任し、球団副会長を務めた。70歳。岡山県出身。


2018年01月06日土曜日


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