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<みやぎの平成30年>(6)白石城復元 歴史継承、活性化の核に

白石城本丸広場で、2代目城主片倉小十郎重長の軍勢と真田幸村軍の大坂夏の陣(1615年)での激闘を再現する「鬼小十郎まつり」=昨年10月
三階櫓と同時期に復元された大手二ノ門前での落成式でテープカットする関係者=1995年5月2日、白石市益岡公園

 新年は「平成30年」の節目の年。バブル経済真っ盛りに始まった「平成」は来春、天皇陛下の退位によって幕が引かれようとしている。「平成」はわれわれにとってどんな時代だったのか? 宮城県内であったこの29年の出来事を振り返りながら、今を見つめて、次代へとつなごう。

◎〜結ぶ、つながる〜 ◆平成7年

 そこかしこから望める白壁の威容が、城下町白石の風情を醸し出す。
 1995(平成7)年、白石城が約120年ぶりによみがえった。
 「独眼竜」と称された伊達政宗の股肱(ここう)の臣、片倉小十郎景綱に始まり、260年余にわたって片倉家が居城にした。徳川幕府の一国一城令にあっても仙台城の支城として存続し、明治維新後の1874年に解体された。
 「市民が心の過疎に陥らないよう志を高めたい。観光だけでなく、白石再生へのシンボルになる」と当時の市長川井貞一さん(84)。住民が減り、産業にも漂う衰退ムードを打破しようと、20億円を要する木造での本格復元に踏み切った。
 天守閣に当たる三階櫓(やぐら)は高さ16.72メートルで前例のない規模。人口4万強、年間予算100億円前後の小都市が法規制や財源の対応に知恵を絞り、成し遂げた事業は全国的にも注目された。
 ハザマ(現安藤ハザマ)東北支店で白石城作業所長を務めた外舘寛さん(63)は「白石で示された先例が本物志向の城郭復元の流れをつくった。壊れたら修理することで技術も伝承される」と意義を語る。
 青森ヒバやヒノキといった国産材をふんだんに使い、宮大工や石工ら全国の職人技の粋を集めた。伝統の知恵は災害にも強かった。2011(平成23)年3月の東日本大震災。土壁が揺れを吸収して柱や梁(はり)を守り、内側に栗石(ぐりいし)という玉石を積んだ石垣はびくともしなかった。
 さまざまな困難を乗り越えた白石城。仙台藩の南の要衝は今、県南地域の観光や文化活動の一大拠点となった。初日の出や花見、日本舞踊、茶会など多様な催事で年中にぎわう。勇壮に合戦を再現する「鬼小十郎まつり」は秋の恒例行事として昨年10回目を迎え、各地から人を呼び込む。
 景綱に扮(ふん)して市内外で白石をPRするのは、大宮宗雄さん(56)。普段は白石城管理事務所で働く。
 大宮さんは「小十郎が生きた時代にタイムスリップした気分を味わえるのは、リアルに再現された城ならではの魅力。子どもや外国人など客層も年々広がっている」と胸を張る。
 城周辺に活気は生まれたが、市内を見渡せば人口は減る一方で苦境が続く。「武家文化が息づくまちとして、気骨を持ち続けてほしい」。川井さんは白石城に次代への願いを託す。(白石支局・村上俊)

[メモ]白石城は江戸時代に何度か建て直され、1823(文政6)年に完成した最終形を再現した。復元事業は1988年策定の第3次白石市総合計画で打ち出され、92(平成4)年度に着工。三階櫓は建築基準法が定める木造建築物の高さ制限(13メートル以内)に抵触するため、構造や防災面の安全性を立証し、当時の建設大臣認定という全国初の特例を得た。入館者は95年度の約28万人が最多。東日本大震災後の2011年度は約4万2000人に落ち込んだが、16年度は約7万1000人となった。


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2018年01月07日日曜日


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