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<星野仙一氏死去>評伝 強さと優しさと責任感

 東北楽天を日本一に導いた星野仙一さんが亡くなった。「強さがないと本当の優しさではない」との信念で低迷していたチームを押し上げ、東日本大震災で打ちひしがれていた東北の被災者に勝つ喜びをもたらした。常に強者に挑み続けた闘将は、家族にみとられて静かに70年の生涯を閉じた。
 「お前やせたな。来てくれてありがとう」。昨年11月28日に東京であった野球殿堂入りを祝う会で、星野さんは監督時代と変わらぬ笑顔で語り掛けてくれた。本当は闘病で苦しいはずなのに、そんなそぶりを見せることはなかった。
 決して弱さを見せない人だった。監督就任後の2011年3月11日、大震災が起きた。がれきに埋まった被災地の避難所。悲嘆する大人のそばで無邪気にはしゃぐ子どもたちを見て、思わず涙が出そうになりながら「勝って被災者を癒やす」と自らを奮い立たせた。
 2年後、チームは快進撃を続けパ・リーグを制し、日本シリーズで宿敵巨人を破り日本一となる。勝利の瞬間、実はうれしさはなかったという。「勝つという責任を果たせた」。被災地での誓いを果たせずにいた指揮官は、ようやく苦しみから解放された。
 14年5月には難病の黄色靱帯(じんたい)骨化症などの治療で一時、戦線を離れた。翌15年の続投も既定路線の中、7月に復帰を果たしたが、表情はさえなかった。胸騒ぎを覚えた9月18日朝、星野さんから「体に不安がある。辞める」と退任を告げられた。4年間取材して初めて聞いた弱音だった。
 勝負に徹するため、ベンチでは厳しさを貫いた。一方で、球場を離れると、周囲とのコミュニケーションを大切にし、記者とも親しく接してくれた。豊富な知識と人を引き込む話術で、野球はもちろん、政治や経済、文化、芸術などさまざまな分野について的確に論評し、驚かされた。
 東北での生活も楽しんでいた。「仙台は住みやすい。緑が多くて飯もうまい。ただ、女性は男を見る目がない。俺を一人にしている」とジョークを交えて語った。
 星野さんの好きな言葉は「夢」。1年前、今後の夢を尋ねたことがある。「野球の底辺を広げたい。アマチュアとプロが手を合わせて、子どもたちが野球をやれる環境をつくりたい。今度、仙台でゆっくり話そうか」。そう約束した。
 こんな形で約束が果たせなくなるなんて、本当に悔しい。星野さんの夢の続きを見たかった。(中村紳哉)


2018年01月07日日曜日


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