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<星野仙一氏死去>東北に悲しみ広がる 被災者「自分たちが見られない世界も見せてくれた」

東日本大震災時に避難所を訪れ、被災者を励ます星野さん=2011年4月7日、仙台市若林区の六郷中

 東北に悲しみが広がった。プロ野球東北楽天を初の日本一に導いた星野仙一さんの死去が伝わった6日、東日本大震災の被災地や、本拠地がある仙台市で早過ぎる訃報を惜しむ声が上がった。
 「東北の皆さんの苦労を少しでも和らげようとやってきた」。2013年の日本シリーズ制覇。星野さんはそう言い男涙を流した。
 「東北を元気にしようという気迫に励まされた」と振り返るのは、東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県双葉町から、いわき市に避難している会社員横田友洋さん(27)。「突然過ぎて悲しく、寂しい。星野監督だから日本一になれた」とたたえた。
 明治大野球部の同級生だった三沢市議の堤喜一郎さん(71)は昨年6月、三沢市で星野さんの野球殿堂入りを祝う会を開いた。堤さんは「自分が地元でやれることをやり、彼も応えてくれた。自分たちが見られない世界も見せてくれたし、本当にいい男だった」と言う。
 宮城県南三陸町のファンでつくる「楽天イーグルス南三陸町応援協議会」の小坂克己会長(60)は「被災地を元気づけようと常に先頭に立ってくれた」と感謝する。日本シリーズではパブリックビューイングを設け見守った。「『おらがまちのチーム』になったと実感した。チームには星野さんの被災地への思いを引き継いでほしい」と願った。
 星野さんは監督時代、仙台市青葉区のマンションに暮らした。散歩が趣味で、グルメ。近くの飲食店に足しげく通い、地元の人たちと親交を深めた。
 長年のファンで、名前を店名にした「鮨(すし)仙一」(青葉区)店主の山田定雄さん(61)は「年に数回来店し、昨年5月ころにスタジアムの一室にスタッフ一同を招いて解説してくれた。自分で道を切り開く生きざまが好きだった」と悼んだ。
 「おでん三吉」(青葉区)の田村忠嗣さん(74)は飲食店主でつくる「稲虎応援団」団長。監督就任会見の当日にヘッドコーチの田淵幸一さんと店に来てくれたという。「(1970年代に宮城球場を拠点としていた)ロッテの時は見られなかった日本一を目の前で見せてくれた恩人」と功績をねぎらった。


2018年01月07日日曜日


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