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<みやぎの平成30年>(7)徳陽シティ銀破綻 不良債権重く信用失う

徳陽シティ銀行本店で会見し、深々と頭を下げる新井田社長(右)ら幹部=1997年11月26日
徳陽シティ銀行の本店として使われていたビル。現在は県歯科医師会の本部などが入る=仙台市青葉区国分町1丁目

 新年は「平成30年」の節目の年。バブル経済真っ盛りに始まった「平成」は来春、天皇陛下の退位によって幕が引かれようとしている。「平成」はわれわれにとってどんな時代だったのか? 宮城県内であったこの29年の出来事を振り返りながら、今を見つめて、次代へとつなごう。

◎〜結ぶ、つながる〜 ◆平成9年

 1997(平成9)年7月、仙台銀行頭取の日下睦男さん(86)=現相談役=は大蔵省(現財務省)から急に呼び出された。「宮城でも金融パニックが起きるのか」。飛び乗った新幹線で胸騒ぎが収まらなかった。
 当時、バブル崩壊で膨らんだ不良債権が全国各地の金融機関に重くのしかかった。東北では、徳陽シティ銀行(仙台市)が深刻だった。
 「近く関西で1行が経営破綻する。次は東北に波及する」
 日下さんと会った大蔵省幹部はこう打ち明けた。仙台銀に受け皿銀行となるよう求め、同行を中心とする営業譲渡に向けた水面下の調整が始まった。
 同省幹部の「予言」は的中する。97年10月、京都の第二地銀1行が破綻。11月に入ると証券準大手の三洋証券、都銀の北海道拓殖銀行、山一証券が相次いで倒れた。
 11月26日午前6時すぎ、徳陽シティ銀の新井田時男社長(故人)が日下さんに電話をかけた。新井田社長は「自主再建を断念した。営業譲渡することに決定した」と告げた。
 日下さんは直ちに臨時取締役会開催を指示。仙台銀での営業譲り受けを決議した。
 日下さんは「行内は当初、反対意見が多かった。宮城の金融危機を避けるため、苦渋の決断だった。宮城の金融システムを守ったと自負している」と述懐する。
 東邦銀行監査部の担当部長今野裕さん(63)は徳陽シティ銀の元行員。破綻後、金融監督庁(現金融庁)に転職し金融機関を検査、監督する部署に長く身を置いた。
 今野さんは「信頼の上に成り立つ仕事なのに徳陽シティ銀行は信用を失い、財務の健全性を保てなかった。同じ経験を二度と繰り返してはいけないとの思いで金融機関の検査に当たった」と語る。
 当時の懸案だった不良債権処理は多くの金融機関で進んだ。その後、融資の審査は厳しくなり、現在は顧客のニーズに合った提案やコンサルティングが、より重視されるようになった。(報道部・田柳暁)

[メモ]徳陽シティ銀行は県内の無尽会社3社の合併で発足した三徳無尽が前身の第二地銀。1951年に徳陽相互銀行となり、90年に普通銀行に転換した。94年、殖産銀行(現きらやか銀行=山形市)、北日本銀行(盛岡市)との合併を発表したが、徳陽の多額の不良債権が足かせとなり、破談。資金繰りに行き詰まり、97年11月に経営破綻した。98年11月、銀行業務を終え、71支店や貸出債権は仙台銀行や七十七銀行、北日本銀行など13金融機関に譲渡された。


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2018年01月09日火曜日


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