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<みやぎの平成30年>(8)日韓W杯サッカー開催 運営ボランティア定着

スタンドに登場した日本代表の巨大なユニフォーム=2002年6月18日、宮城スタジアム
W杯サッカー開催を記念して設けられた石灯ろう形の街路灯=利府町中央3丁目

 新年は「平成30年」の節目の年。バブル経済真っ盛りに始まった「平成」は来春、天皇陛下の退位によって幕が引かれようとしている。「平成」はわれわれにとってどんな時代だったのか? 宮城県内であったこの29年の出来事を振り返りながら、今を見つめて、次代へとつなごう。

◎〜結ぶ、つながる〜 ◆平成14年

 「2002(平成14)年の日韓W杯サッカーは、利府町民にとって(暴徒化する)フーリガンの心配が大きかった。盛り上がってきたのは開会1カ月前だった」
 会場となった宮城スタジアムの近くに住む東北大多元物質科学研究所所長の村松淳司さん(58)は振り返る。W杯を事前PRするボランティア団体「ワールドカップ宮城・仙台友の会『キックラブ』」の事務局長などを務めた。
 フーリガン対策で、町は会場に通じる沿道のプランターを裏道に移すなどしたが、想定より外国人客が少なく無事に開催できた。
 05年にプロ野球東北楽天が誕生すると、町民の関心は一気に野球に移った。W杯があったことを今も思い出させるのは、JR東北線利府駅から利府街道までの県道約600メートルにある街路灯ぐらいだ。サッカーボールをかたどった計45基が並ぶ。
 「W杯の遺産はボランティア活動。他の開催地にない特徴だ」。村松さんは強調する。
 W杯の翌年、「グランディ・21ボランティア」が発足。今も大会や催しがあると、約100人のメンバーが会場案内やごみの分別、大型ビジョン操作も担当する。04年には、仙台市などを中心に各地のボランティア団体のリーダーが参加する「市民スポーツボランティアSV2004」が誕生した。ツール・ド・東北、大相撲仙台場所などの大会を支える。
 両団体でリーダー的立場にある村松さんは「自ら進んでやりたい人が集まっているので長続きしている」と語る。
 20年の東京五輪サッカー会場予定地としての課題は、交通アクセスの悪さだ。W杯サッカー対策室長補佐だった高橋毅さん(65)は「W杯同様、(人気アイドルグループの)嵐などのコンサートが開かれるたび、周辺の道路が渋滞する」と言う。
 それでも、ボランティア組織が大きな遺産として残り、町民は五輪受け入れに自信を持っている。村松さんも高橋さんも口をそろえる。「世界では五輪以上に注目されるW杯サッカーを無事に開催したのだから」
(多賀城支局・高橋秀俊)

[メモ]2002(平成14)年の日韓W杯サッカーは、利府町の県総合運動公園(グランディ21)の宮城スタジアムで、1次リーグのメキシコ対エクアドル、スウェーデン対アルゼンチン戦の2試合と、決勝トーナメント1回戦の日本対トルコ戦があり、日本は0対1で敗れた。JR東北線利府駅などから会場までシャトルバスが運行され、3試合で計約14万人の観衆が訪れた。


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2018年01月10日水曜日


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