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<みやぎの平成30年>(10)荒川、羽生 五輪金メダル フィギュア王国を確立

ソチ五輪で金メダルを手に花束を掲げる羽生選手=2014年2月、ロシア
トリノ五輪で金メダルとなった荒川選手のイナバウアー=2006年2月、イタリア

 新年は「平成30年」の節目の年。バブル経済真っ盛りに始まった「平成」は来春、天皇陛下の退位によって幕が引かれようとしている。「平成」はわれわれにとってどんな時代だったのか? 宮城県内であったこの29年の出来事を振り返りながら、今を見つめて、次代へとつなごう。

◎〜結ぶ、つながる〜 ◆平成18、26年

 2006(平成18)年2月、宮城が沸いた。トリノ冬季五輪フィギュアスケート女子で荒川静香選手(東北高−早大出)が、男女通じアジア初の金メダルに輝いた。
 フィギュア発祥の地とされる宮城。何人もの代表を輩出して、五輪の頂点にようやく届き、名実ともにフィギュア王国となった瞬間だった。
 「正直、優勝するとは思っていなかっただけに、感慨深かった」。東北高学園長を務める県スケート連盟の五十嵐一弥名誉会長(72)は目を細める。
 荒川選手の活躍は行政を動かした。高校時代まで練習拠点とし、04年に経営難で閉鎖されたリンクの再開が決定。県と仙台市が民間企業を支援し、07年にアイスリンク仙台(泉区)として復活した。
 14(平成26)年ソチ大会で歓喜は再び訪れる。羽生結弦選手(ANA、東北高出)が男子でアジア勢初制覇を果たした。
 反響はトリノを上回る。優勝の翌日から、かつて羽生選手の練習場だったアイスリンク仙台のスケート教室に申し込みが殺到。生徒は60人から100人に増えた。在家正樹支配人(47)は「羽生選手には特別な影響力があった」と振り返る。
 熱気は今も続く。羽生選手の試合の翌日は、家族連れら一般客でリンクはいっぱい。羽生選手からの寄付で新しくした送迎バスを撮影しに来るファンまで現れた。
 羽生選手は2月の平昌大会でも優勝候補の筆頭だ。在家支配人は「競技の裾野を広げる意味でも羽生選手に感謝している。平昌で結果が出れば、また盛り上がるだろう」と期待を寄せる。
 一方で冷静な見方もある。五十嵐名誉会長は「2人の活躍で、競技としてのフィギュアが県内で盛んになったわけではない」と言う。通年リンクはアイスリンクしかなく、練習時間が限られる。経済的な負担は大きく、有望な子どもが辞めていく。有名コーチも去った。
 王国の栄華はかすみつつある。「このままでは宮城ゆかりの代表は羽生選手で最後になりかねない」と五十嵐名誉会長。「荒川さんと羽生選手にはいずれ、宮城フィギュア界の再興の力になってほしい」と願う。(スポーツ部・佐藤夏樹)

[メモ]荒川静香選手の金メダルは、冬季五輪で1992(平成4)年アルベールビル大会スキー・ノルディック複合団体の三ケ田礼一選手(八幡平市出身)以来、東北勢2人目。県勢では夏冬通じ、64年東京、68年メキシコの両夏季五輪重量挙げ連覇の三宅義信選手(村田町出身)以来2人目の快挙だった。羽生結弦選手はショートプログラムで史上初の100点超えとなる101.45を記録した。県勢のフィギュア初出場は94年リレハンメル大会の及川史弘選手(早大、東北学院高出)。羽生選手が連覇を狙う平昌大会まで7大会連続で選手を輩出している。


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2018年01月12日金曜日


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