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<あなたに伝えたい>手を振る姿 思い出すたび涙

最愛の孫の思い出が詰まった写真を見詰める(左から)京子さん、吉郎さん

◎小山吉郎さん、京子さん(東松島市)から鈴木堅登君、巴那さんへ

 吉郎さん 常日頃、家に誰もいない時に2人の写真を見ています。ほとんどおばあさんとも2人の話をしねえもんな。自分の心にしまっておきたいの。
 孫たちは毎週のように家に来ていました。2人ともかわいかった。庭で雪を集めていろいろ作りました。雪だるまとか、滑り台とか。喜んでたな。
 お兄ちゃんはしっかりしていて妹思い。巴那のこと、たたいたことねえべな。
 仙台市の私立中学の合格発表があり、堅登と一緒に見に行きました。一番に会場に入ったんです。堅登の受験番号が書いてあった。何回も2人で見直しました。堅登は喜んでたな。俺は合格できると思ってた。希望はかなったんだけどな。
 京子さん 急にいなくなってしまった。家で写真を出し、見ては泣いています。見なければいいんだけども。やっぱり見たい。
 震災当日の前週の土曜日だった2011年3月5日に会ったのが最後になりました。堅登と巴那は車に乗って自宅へ帰る時、こっちに向かってずっと手を振っていました。バイバーイ、バイバイって。思い出すと何回も涙が出る。
 巴那は東松島市で英語やピアノを習っていました。英語で分からないことがあると、一緒に通っていた堅登から教えてもらう。私がピアノ発表会に行けなかった時には「おばあさんにも聴かせたかった。上手だったよ」と言われました。
 巴那、どこにいるの? 寒がりだったからね。寒い所でどうしてっかなあ。せめて帰ってくればね。

◎毎週のように遊びに来ていたかわいい孫

 鈴木堅登君=当時(12)=、巴那(はな)さん=同(9)= 石巻市長面地区の自宅で両親と暮らしていた。東日本大震災の発生時は通っていた同市大川小にいた。津波で6年生だった堅登君は亡くなり、4年生だった巴那さんは今も行方が分からない。きょうだいは東松島市の祖父小山吉郎さん(81)、祖母京子さん(78)方をよく訪れていた。


2018年01月14日日曜日


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