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<止まった刻 検証・大川小事故>第2部 激震(5)引き渡し規則 継承されず

引き渡しのルールを定めた大川小の危機管理マニュアル。内容は保護者と共有されていなかった

 マグニチュード(M)9.0の国内観測史上最大を記録した東日本大震災。巨大津波が河口から約3.7キロ離れた石巻市大川小を襲うまで約50分あった。児童74人と教職員10人の命が失われるまで何があったのか−。第2部は当時の児童や保護者らの証言を基に、3月11日午後2時46分の地震発生から3時10分ごろまでの初期対応を検証する。(大川小事故取材班)

◎14:46〜15:10

 雪はいつしかみぞれに変わった。
 3月11日午後3時ごろ、石巻市大川小の周辺に子どもを迎えに来た保護者の姿が目立ち始めた。心配そうな顔で子や孫に駆け寄り、無事を確かめ、安堵(あんど)の表情を浮かべる。
 児童の正面にテーブルが用意され、順番を待つ保護者の列ができた。「誰が来たか分かるようにメモを取って」。教職員の間で指示が飛ぶ。名前と時間を確認し、順に帰宅させた。
 「気をつけて帰ってね」。教え子を見送った4年担任の男性教諭=当時(27)=の髪はみぞれでべっとりぬれていた。別の教職員は泣いている児童に「すぐ迎えに来るよ」と声を掛けた。

 災害時、保護者による子どもの引き取りは、教育現場で「引き渡し」と呼ばれる。当初、引き渡しは6年担任の男性教諭=同(37)=が主に担当していたが、教諭らは手探り状態だったとみられる。
 当時大川中1年だった佐藤優太さん(20)=大学2年=は「とりあえずここで待っていて」と言われ、校庭で10分近く待たされた。5年の弟の隣で座って待つ間、「なんで引き取れないんだろう。親じゃなきゃ駄目なのかな」と考えていた。
 30代の母親は3月9日の前震時、海沿いの幼稚園に娘を迎えに行った。震度5以上で引き取る決まりがあったからだ。低学年の息子が通う大川小のルールが気になり電話した。「今のところ引き渡しのルールはない」という答えに「大川小は山側で安全なんだな」と受け止めた。
 実際は(1)震度6弱以上の場合は原則、引き渡す(2)引取者は事前に登録した人−などのルールが存在した。
 導入後の2007、08年度は緊急時の連絡先や引取者を事前に登録する「防災用児童カード」を保護者に提出させていた。だが、柏葉照幸元校長が着任した09年度を境に保護者への周知は途絶えた。
 柏葉氏は12年1月の遺族説明会で「児童カードは見たことがなかった。校長として引き継がず、怠慢があった」と謝罪した。津波警報発令時、浸水予想区域に住む児童を引き渡すかどうかも検討していなかったという。
 校長の怠慢が「大川小の悲劇」を拡大させたとみる遺族もいる。
 息子と母親を失った男性は「母はいつも孫の帰りをバス停で待っていた。あの日もちょうどスクールバスが着く時間帯。孫の帰りを待つ間、母も犠牲になったのではないか」と話す。

 6年の長男大輔君=当時(12)=を亡くした今野浩行さん(55)も「子どもが帰ってくるかもしれないのに逃げられるわけない」と批判。両親はすぐ避難できるよう身支度を整え、大輔君の帰りを待っている間に逃げ遅れたとみられる。
 地震発生時に校内や学校付近にいた大川小の児童103人のうち、引き渡された27人は全員助かった。引き渡しが犠牲を招いた他校と異なり、「なぜ、大川小だけが」と語られる理由の一つでもある。
 「あの日、迎えに行かなかったことは一生の悔い」。2児を失った母親(44)は7年近くたつ今も苦しんでいる。


関連ページ: 宮城 社会 大川小

2018年01月27日土曜日


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