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<あなたに伝えたい>古里の魅力 共有できたかな

古里の魅力を伝えるプログラムの打ち合わせをする永田園佳さん=陸前高田市気仙町の一般社団法人マルゴト陸前高田

◎永田園佳さん(陸前高田市)から吉田京子さんへ

 園佳さん おばあちゃん。私が遊びに行くと、いつもにこにこ笑って得意の料理を出してくれましたね。マヨネーズとみそであえたホウレンソウのおひたし、おいしかったよ。
 家業の燃料販売店で注文の電話を受ける時も、普段と変わらず穏やかな話し方でしたね。裏表がなく、いつも周りの人を優しい気持ちにさせてくれました。
 私が小学校1年生の時、金沢市から家族で陸前高田に引っ越してきて間もない頃、学校生活になじめない時期がありました。でも、おばあちゃんに会うと、不思議と明るく前向きな気持ちになれました。
 最後におばあちゃんと話したのは震災の2カ月前、成人式への出席で帰省した時でした。震災で突然のお別れとなってしまいました。古里が津波で何もかも流され、家族も避難生活で大変な時期に、私は大学に通うため北海道にいました。救援物資を送るぐらいしかできず、無力感や焦燥感が募りました。その悔しさから「卒業したら地元で働こう」って決めたんだよ。
 今、勤めているのは企業や大学の研修、教育旅行などを通じて地域の魅力を伝える一般社団法人。さまざまなプログラムの中で、私は陸前高田を訪れた人たちに震災のことを話します。おばあちゃんを亡くしたことも話します。震災の悲しみを繰り返したくないとの思いからです。
 プログラムを通じて古里の良さにも気付かされます。その度に思います。「おばあちゃんが生きていたら、こうして気付いた地元の良さを一緒に分かち合えただろうな」って。社会人になって成長した私の姿、見守っててね。

◎いつも元気をくれたおばあちゃん

 吉田京子さん=当時(86)= 陸前高田市気仙町の自宅兼店舗で1人暮らしだった。近くに住む次女永田まき子さん(65)ら親族3人と同市気仙小の校庭に避難したが、津波に流された。遺体は1週間後に同小校庭で発見された。まき子さんの次女永田園佳さん(27)は当時大学生で、北海道名寄市にいた。


2018年01月28日日曜日


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