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<東北の道しるべ>「食べる通信」共感広がる 3編集長が座談会

「食べる通信」の役割や東北の農業や漁業の未来を語り合った(右から)太田さん、松本さん、石田さん
<東北以外の「食べる通信」>北海道、北関東、築地(東京)、ポタジェ(埼玉)、やまなし、伊豆(静岡)、魚沼、稲花(新潟)、加賀能登(石川)、滋賀、京都、奈良、淡路島、兵庫、ひろしま、極(島根)、やまぐち、しまなみ(愛媛・広島)、四国、ふくおか、SAGA、さいき・あまべ(大分)、高千穂郷(宮崎)、水俣(熊本)、長島大陸、かごんま(鹿児島)、おきなわ

 東日本大震災後、東北で始まった「食べる通信」の発行が、全国各地に広がっている。地域の農漁業者を紹介する冊子と、手掛けた生産物をセットで届ける情報誌。大量生産、大量消費で分断された「つくる」と「食べる」の結び付きの回復を通して、自然と人間の「通訳者」の役割を果たしている。人々はなぜ「食べる通信」に共感するのか。農業や漁業の未来はどこへ向かうのか。東北で活躍する3人の編集長が語り合った。

<食べる通信>2013年7月、NPO法人「東北開墾」(花巻市)代表理事の高橋博之氏が「東北食べる通信」を創刊。その後、高橋氏の働き掛けなどもあり、全国各地で食べる通信の創刊が相次いだ。読者である消費者(食べる人)と生産者(つくる人)、都市と地方をつなぐ役割を果たし、新たな交流を生み出している。現在、北海道から沖縄まで36地域(東北は9地域)で発行されている。14年4月には各編集部の連盟組織「日本食べる通信リーグ」も発足し、生産と消費の関係回復を目指すうねりの原動力となっている。地域を限定しないテーマ型の食べる通信もある。広がりは日本国内にとどまらず、台湾の4地域で食べる通信の創刊が予定されている。

◎出席者

東松島食べる通信編集長 太田将司氏
山形食べる通信編集長 松本典子氏
高校生が伝えるふくしま食べる通信
 2017年夏号編集長 石田あやめ氏
<コーディネーター>
河北新報社 報道部長 木村正祥

◎編集の特色

 −「食べる通信」を始めた経緯を教えてください。

 太田 東日本大震災後の2011年8月、東松島市の祭りを手伝った。車で回って見た沿岸部の光景に心がひしゃげた。東北には縁もゆかりもなかったが、とにかく1年だけ住んで「地域の燃料役」としていいことをしようと決めた。
 「東北食べる通信」の14年2月号に東松島のノリ漁師が掲載された。被災地で頑張っているというトーンではなく、ノリのスペシャリストとして取り上げた記事に共感した。市のアンテナショップのスタッフたちは泣きながら読んでいた。その姿を見て、自分が東松島の目や耳となって盛り上げようと創刊を決意した。

 松本 ライターをしていた時、人口減少や農業の後継者不足という話題を取り上げていたが、都会に住みながら、さも分かったように書くことに違和感を覚え、地方で暮らしてみたいと思うようになった。
 そんなとき、山形の在来作物をテーマにしたドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」の上映を手伝った。メガホンを取った監督との結婚を機に、母の実家もある鶴岡市に住み始めた。知り合った在来作物の生産者は「後継者がいない」「もうからない」と言う。映画を見た人から「どうやったら手に入るのか」と数多くの問い合わせを受けていたので、食べ物とレシピを一緒に届ければ、需給のミスマッチが解消されると思った。

 石田 高校受験の直前、「高校生が伝えるふくしま食べる通信」が自宅に届いた。高校に合格して改めて読んだらすごくいい文章だった。「充実した高校生活を送りたい」と思い、事務局にメールして仲間に入れてもらった。
 編集会議では「これを伝えたい」という先輩たちの思いに圧倒された。一緒に行った取材で生産者にいい質問をすると、いい答えが返ってくるということを知った。南相馬のトマトを取り上げた17年夏号で編集長を務めたが、先輩の背中から学んだことを詰め込むことができた。

 −特色や編集方針を聞かせてください。

 太田 「食発見は、町おこし」がコンセプト。東松島の生産者とコミュニケーションが取れる距離の人に、地域の食を発見してほしい。生産者の思いを知ることで、他地域の物ではなく地元産を買ってくれるようになると思う。

 石田 高校生がチームで取り組んでいるということ。複数人でインタビューするのだが、心に響く事柄やメモする言葉はそれぞれ違う。それを擦り合わせながら作り上げている。

 松本 食べる人との関係を大事にしている生産者に協力をお願いしている。実際にキッチンに立つ人の視点も大切にしていて、だだちゃ豆の号には豆だけでなく塩も付けた。今後ワラビを特集することがあれば、あく抜き用の重曹を添えたい。

◎農漁業の未来

 −取材をして印象に残った号やエピソードは。

 石田 コウナゴを特集した17年春号は、取材先が相馬市の漁港だった。実はその辺りは、私が小さい頃に祖父母の家に行った時の遊び場。当時、帰ってきた船に港近くの公園から手を振ると、漁師が手を振り返してくれたのをよく覚えている。
 震災で港の周辺は地盤沈下し、遊び場がなくなってしまった。漁船は港にあるのに、東京電力福島第1原発事故の影響で操業している姿が見られなくなった。祖父母に「ごめんね。もう何もなくなっちゃった」と言われたのが衝撃的で、そんなことを言わせて申し訳ない気持ちになった。
 それがコウナゴの取材に行った時、早朝に港から船がどんどん出て、大きな橋の下を通っていく光景を見た。「そういえば小さい頃に見たのはこんな景色だった。完全に元通りではないけれど、古里が戻ってきたんだ」と、うれしくて船を見送りながらぼろぼろ泣いてしまった。

 松本 焼き畑で作る温海カブを特集した16年12月号。焼き畑文化に引かれて鶴岡市に住んだが、放置される杉林が多くなり、焼き畑をする場所は少なくなっていた。地元の森林組合が文化を継承するプロジェクトを始めたので、最初から関わらせてもらい、生食の提案などをした。組合の人が「漬物用の古くさいカブだと思っていたが、本当は魅力があると教えてもらった」と言ってくれた。

 太田 印象に残っているのは毎号だ。特集した人はみんな東松島市在住で1年以上付き合っている。強いて挙げるとすれば、16年夏号。東松島に移り住んで10日くらいで最初に親しくなった漁師ら2人を紹介し、ようやく少し恩返しできたかなと思えた。

 −東北の農業や漁業が元気になるヒントはありますか。

 松本 山形はあく抜きや塩蔵、乾物など食べるための知恵が豊富な県。世界で食料危機が起きたとき、その知恵を分けていける。実際に鶴岡市は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の食文化創造都市に認定され、国際色豊かな学生たちが調査に入ってきている。

 太田 やっていないことが圧倒的に多く、可能性はたくさんある。いい物を作れば売れる時代ではなく、生産者は誰に売りたいかを思い浮かべていないといけない。今の時代に合った売り方をするために域外から人材を雇用するのも一つの手。震災で東北にはいろんな人が外から入ってきた。そこから得られた知見を全国に伝えるべきだ。

 石田 福島県は風評被害が大きい。それを払拭(ふっしょく)する「鶴の一声」はない。そうであれば生産者もメディアも、地道にやっていくしかない。生産者は全然諦めていない。いい物を消費者に届けようと頑張っている。こういう熱い思いをありのまま伝えていきたい。

◎つなぐ役割

 −作る人と食べる人、生産地と消費地をつなぐ重要性をどう考えますか。

 太田 生産者は買う人を、消費者は作る人のことを知ることが大事だと思う。食の安全も数値だけで示されるより、旧知の生産者から買う方が信用できることがある。食べる通信が互いを知るきっかけになればいい。食べ物のうまい、まずいではなく、その生産者がどう生きてきたかを届けることが、自分の勝負どころだろう。

 石田 福島の農産物は原発事故の風評で、買う際の選択肢にも入れてもらえない状況だ。消費者が求めなくなり需要が減ると、店頭に並ばなくなり、ますます買い求める人が減る。この悪循環を何とか断ち切る必要がある。需要を回復するには、福島で暮らす私たちが「福島の農産物はおいしい」と発信すべきだ。

 松本 誰が、どこで、どう作ったかという情報は食べる側に安心感を与え、暮らしを鮮やかにしてくれる。都会のスーパーにいると、生産者や産地が身近でないせいか価格で見比べてしまう。生産者と知り合いになると、ニンジンが産直コーナーに並び始めただけで「もう、そういう時季か」と思ったりして、季節感も楽しめ、食べる喜びが増すと思う。

 −「自然と人間の通訳者を育てよう」など6項目を掲げる河北新報社の「東北の道しるべ」の感想を。

 石田 歴史の授業で原始時代は人間と自然が共存していたと学んだが、今はどうか。都会の人はわざわざ郊外まで足を運び「自然がきれい」「食べ物がおいしい」と感動している。人間は元々自然に囲まれて生きていたことを忘れかけていないかと心配になる。
 大量生産、大量消費の中で日本人が忘れつつある自然と共に暮らすとか、自然が与えたものだけ受け取るという思想が、東北の暮らしには残っている。自然との共存を呼び掛けることは、東北の役割ではないか。

 松本 子ども連れで東京を歩くと肩身が狭く、いつ騒ぎだすかと不安になる。鶴岡では子どもが騒ぐと周りが喜んでくれるので気持ちが安らぐ。こういう緩やかな感じを未来に残したい。成長を数字で追い掛けるのとは違った指標で幸せの価値を測りたい。

 太田 リアリティーを大切にしたい。食べ物と全く同じ栄養素をサプリメントなどから摂取できる時代だが、それはリアリティーが薄れ、食べる行為を考えなくなった証しのような気がする。食べるという日常の行為を通じ、2050年までには何とか風穴を開けたい。

<おおた・まさし>73年、千葉市生まれ。敬愛大卒。インテリアショップ勤務を経て、東日本大震災直後の11年11月、東松島市に移住。14年8月「東松島食べる通信」創刊。年4回発行、各号2700円(東松島市内は2000円)。購読者は約950人。

<まつもと・のりこ>83年、鶴岡市生まれ。埼玉県育ち。早大卒。ラジオ局構成作家や雑誌ライターなどを経て13年、結婚を機に鶴岡市移住。第1子出産後、15年3月「山形食べる通信」創刊。隔月発行。各号3980円。購読者は約220人。

<いしだ・あやめ>00年、伊達市生まれ。福島高2年。16年5月に「高校生が伝えるふくしま食べる通信」(こうふく通信、15年4月創刊)の編集部員となり、17年夏号で編集長を務めた。年4回発行。各号2500円。購読者は約730人。
   ◇
 戦後日本に価値観の転換を迫った東日本大震災を踏まえ、河北新報社は創刊120年を迎えた2017年1月17日、次世代に引き継ぎたい東北像として「東北の道しるべ」を発表しました。災後の地域社会をどう描くのか。課題を掘り下げ、道しるべの具体策を考える特集を随時掲載します。
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2018年01月30日火曜日


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