宮城のニュース

<丸森再耕 原発事故を超えて>攻めの姿勢で広がる輪

ザンビア人研修生に養蜂を指導する石塚さん(左)。草の根の交流が地域に笑顔をもたらしている

 東京電力福島第1原発事故で、宮城県南に位置する丸森町は深刻な放射能汚染被害を受けた。町が再生を果たすには、住民の自治力が鍵を握る。町内は中山間地が多く過疎化が進むが、原発事故を乗り越えコミュニティーの再構築を目指す新たな動きが出ている。自治組織の取り組みを追う。(角田支局・会田正宣)

◎自治(中)交流

 「日当たりが良すぎるとハチの巣が溶ける。まずどこに巣箱を置くかが鍵だ」
 昨年9月、丸森町耕野の石塚養蜂園。経営者の石塚武夫さん(46)が養蜂のポイントを伝授した。相手は、アフリカ・ザンビアから来た農業改良普及員5人。地区の自治組織「耕野振興会」が受け入れる研修生で約1カ月、稲作やキノコ栽培などを学んだ。
 耕野地区とザンビアの交流は2011年2月、国際協力機構(JICA)の事業で研修生が視察に来たのが始まり。13年度で一度終了したが、振興会が町と共同でJICAの地域提案型事業に応募し、16年度に再開した。17年度まで計33人が訪れた。

<海外へ人材派遣>
 交流は受け入れだけにとどまらない。振興会は16年から現地に農業技術指導者として元青年海外協力隊員小野玲さん(41)を派遣。小野さんは「身近な素材と限られた土地を生かす丸森の知恵は、持続可能な発展のヒントになる」と言う。
 プロジェクトマネジャーを務める石塚さんは「顔の見える草の根の交流で、自分たちの技術がザンビアに役立っていると住民が実感している」と喜ぶ。
 石塚さんは千葉県出身。養蜂の同業者とエリアをすみ分け、1997年に耕野に入植した。翌98年から、東京の学生や仙台市の消費者などと地元農家の交流会を開き、都市と農村を橋渡ししてきた。米沢市で機織りを学んでいた妻裕美さん(50)ともその縁で知り合い、3人の子に恵まれた。
 幸せな生活は、東京電力福島第1原発事故に揺さぶられた。事故後、妻子を千葉の実家に約1カ月避難させた。石塚さんは「子どもへの影響が心配で、ここに住んでいて大丈夫か悩んだ」と明かす。
 1年迷ったが、仕事の都合や小学校の除染の進行を見て、12年冬に自宅を新築。「耕野に骨をうずめる」と宣言した形になった。
 地区に移住してきた子育て世帯の多くは避難した。石塚さんは「個性的な人が集まり、子どもも増えていた。原発事故がなければ、地域づくりに多様なアイデアが出ていたはず」と惜しむ。最近ようやく、「耕野はもともとオープンな雰囲気がある。交流の輪が再び広がり始めている」と手応えを語る。

<山村留学を支援>
 原発事故で児童が減った耕野小(児童9人)が、学校を活性化させようと取り組む山村留学。振興会は山村留学紹介団体への年間加盟費5万円を予算化し、耕野小への山村留学を後押しする。
 「原発事故で沈んでいた地域に、ザンビアとの交流や山村留学で、笑顔と明るさがもたらされた」と宍戸睦雄振興会長(74)。「待ちの姿勢では地域が消滅するだけ。挑戦が大事だ。原発事故を経て、その思いが強まった」と力説する。


2018年01月30日火曜日


先頭に戻る