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<南極見聞録>世界へ情報発信 誇り

オーロラ爆発です。極夜が明けたばかりで夜は真っ暗なのに、周囲が明るくなりました。動きも激しく、自然エネルギー棟に襲いかかるように見えるほどでした。今回の越冬では、多くのオーロラが見られました(筆者撮影)
全体が暗いですが、珍しい紫色のオーロラです。オーロラの色は太陽から来る電気を帯びた粒子のエネルギーと、衝突する地球の大気の元素によってさまざまに変化します(筆者撮影)

 第58次南極地域観測隊に仙台市太白区の外科医大江洋文さん(57)が参加している。過酷な環境の中で任務に励む日々。極地の「今」を伝える。

◎こちら越冬隊 Dr.大江(20完)白夜の終わりに

 こちらでは1月21日に日没がありました。太陽が沈まない白夜が約2か月ぶりに終わったのです。これから日が短くなり、気温も急速に下がってきます。2月1日には基地の管理運営を59次隊に引き継ぐ越冬交代式を終えて、観測船しらせに乗船し、帰国の途に就きました。
 南極で暮らすということは、医師にとっては日進月歩の診療技術から立ち遅れることでもあり、何ら海外留学のような業績として評価されるものではありません。ましてや、2度も手を挙げた自分はある意味で落後者だと思っていますが、その選択を後悔はしていません。むしろ歴史ある南極観測隊員として昭和基地で仕事をできたことを誇りにさえ思います。

<体験や交流 新鮮>
 観測隊生活では、設営系や観測系に関係なく、その道の専門家と付き合うことで、新鮮で刺激的な体験ができました。今回も、幸い本業で活躍する場面はありませんでしたが、世界中が貧困と暴力にさいなまれる時代の中で、思いがけず南極教室を通じて戦禍の中でも希望を失わないパレスチナの青少年との交流ができました。
 昭和基地から世界に情報発信した経験は、今回の越冬生活の中で、最も印象に残った出来事の一つです。
 前回、南極から帰国した後、あちこちで体験を話す機会に恵まれました。たくさんの人たちが目を輝かせて観測隊の活動の話に聞き入り、終わった後も多くの質問があり、出会いがあり、次の講演会につながりました。

<関心 肌で感じる>
 わが国の南極観測は1956年の第1次隊から始まり、昨年1月には昭和基地開設60周年を迎えました。当時、国際的事業である南極観測への参加は、敗戦後の復興途上の日本人にとって、明るい希望の灯がともる出来事として、熱狂的に受け入れられたと伝えられています。今でも、講演会などで参加者の熱心な様子を拝見すると、国民が南極に多大な関心を寄せていることを肌で感じます。
 私は3月下旬に帰国します。昨年3月11日、東北地方の読者には特別の思いのある日に、第1回が掲載された「南極見聞録」は今回で最終回になります。帰国したら報告会や講演会などで皆さんにお会いできる機会もあるでしょう。長い間、お読みいただきありがとうございました。
(第58次南極越冬隊員・医師 大江洋文)


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2018年02月03日土曜日


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