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<仙台いやすこ歩き>(74)チョコレート/苦味、甘味、酸味 奥深く

 日差しがぽわっと春めいてきた。風に運ばれてきたのはロウバイの香り。と、画伯がつぶやいた。「ねえ、みいさん、知ってる? 初めてチョコレートを食べた日本人って支倉常長らしいよ」。「へぇ〜」と言いながら、もう心は甘い魔法に手招きされていた。
 今回いやすこがやって来たのは、仙台市青葉区堤通雨宮町にある「ルイ・ドゥ・レトワール」。赤い外壁が印象的なお店で、大きな額縁のような窓からは、美しく並ぶケーキを眺められる。扉を開ければ、広々とした階段が2階レストランへと延び、ランチを楽しむ人たちの姿。なんか、パリだぁと思っていたら、オーナーパティシエの加藤稔之さん(37)が迎えてくれた。チョコレート専門の菓子職人、ショコラティエでもある人だ。

 早速チョコレートとのなれ初めを伺うことに。調理師専門学校を卒業して仙台のケーキ店で働くうち、加藤さんはチョコレートという素材の奥深さに引かれ、独学で練習を重ねた。そして、専門的に学びたいと東京へ。「当時、六本木ヒルズが建ち、その中に世界でもトップクラスのショコラティエの店があって、そこで修業しました」
 改めて専門的に学びながら、チョコレートにますますのめり込んでいった加藤さんは、さらに1年間と期限を決めてフランスへ赴く。住み込みで修業に入ったのは、ブルゴーニュ地方の中世の街並みが残る町クリュニーの菓子店。3カ月契約で入った初日の仕事の終わりに、1年間居てくれと言われたそうだ。
 「小さな町の菓子店で、技術的には六本木の店の方が上だったでしょうが、フランス人の普段の暮らしの中で、ケーキやショコラなど自国文化に対する人々の愛を感じながらの1年間は、充実していました」
 フランスの文化や空気まで呼吸した加藤さんが、仙台に帰ってきた後、元々やりたかったフレンチの店をオープンさせたのは4年前。フランス菓子が強みのカジュアルフレンチレストランで、お店の名前はクリュニーの通りの名前から取ったそうだ。

 改めてチョコレートの魅力を尋ねると、「チョコレート作りの基本は、原料のチョコレートにテンパリングという、温度を上げたり下げたりの調節を繰り返し、そこに砂糖やミルク、フルーツなどを加えていくのですが、技術と知識を元にきちんとやれば、さまざまに応えてくれるのが魅力ですね」。
 さらに、「原料のチョコレートにも苦味、甘味、酸味などがあり、産地によって味が違います。その中で酸味と甘味のバランスを意識して作っています」と加藤さん。「えぇ〜、チョコレートに酸味?」とハモる2人に、帰り際、試作中というバレンタインのチョコをお土産にくださった。
 お気に入りのカップに紅茶を注ぎ、キャラメルのタブレットフーレをいただく。タブレットフーレとは板チョコのことだそう。一粒のチョコをそっと口に入れると、しっかりとした苦味が舌の上でほろっと溶け、奥から穏やかなキャラメル味とほのかな酸味。塩味もこくとなって口の中一杯に広がっていく。幸せだなあ、と思う。

◎支倉常長が薬として口に

 チョコレートの原料はカカオである。赤道をはさんで北緯・南緯20度以内で栽培される熱帯植物で、25〜30センチのラグビーボール状の実の中に50粒ほどのカカオ豆が入っている。このカカオ豆を加工した製菓用チョコレートを原料に、ショコラティエなどのさまざまな創意工夫により私たちが食べるチョコレートは作られる。
 カカオの歴史をひもとけば、古代メキシコでは、唐辛子やスパイスを混ぜた苦い飲み物として食され、疲労回復の薬効があると珍重された。カカオ豆はアステカ王国では通貨としての価値を持った。
 大航海時代にスペインからヨーロッパ全土へと広まり、徐々に砂糖などが加えられるようになった。1800年代、イギリスでチョコレートを固める技術が開発され、板チョコの原型が生まれた。
 日本人で初めてチョコレートを味わったのは、慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに渡航した支倉常長で、1617年、薬として口にしたといわれている。

 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2018年02月05日月曜日


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