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<仙台城・大手門復元の行方>(上)再始動へ 高まる機運

仙台空襲で焼失する前の仙台城大手門(右)と脇櫓(仙台市戦災復興記念館提供)

 仙台城跡(仙台市青葉区)の大手門復元計画に、改めて注目が集まっている。市が13年前にまとめた計画は東日本大震災の影響もあって滞っていたが、昨年7月の市長選で大手門復元を公約に掲げた郡和子市長が初当選し、仙台城跡の新たな保存活用計画を話し合う検討委員会が始動した。戦災で焼失し、長年の懸案となっている街のシンボル復活の行方はどうなるのか。現状と課題を探った。

 「一気に風が吹いた」
 仙台城の大手門復元を求めている市内の市民団体「『政宗ワールド』プロジェクト」で、署名活動の指揮を執った太白区の会社社長山下晴輝さん(48)は気持ちを高ぶらせる。
 仙台藩祖伊達政宗の生誕450年に合わせ、昨年4月、賛同者を募る活動を開始。市長選で大手門復元を重点政策に位置付けた郡市長に11月末、1万7646人分の署名簿を託した。
 山下さんは「被災した街をただ元に戻すのでなく、世界に誇れる復興を果たしたい」と訴える。仙台空襲で焼失するまで国宝として威容を誇り「仙台藩の象徴」と言われた大手門の復元こそ、震災復興の象徴にふさわしいと確信している。

<「絵に描いた餅」>
 市は2005年策定の仙台城跡整備基本計画で、大手門復元をおおむね6〜15年後に着手する中期目標に位置付けた。かつて大手門の復元設計案を手掛けた東北工大の小山祐司教授(日本建築史)は「写真や測量図など資料が多く、忠実に再現できる」と指摘する。
 しかし、市は太白区八木山地区と市中心部を結ぶ迂回(うかい)路の整備や財源の確保など、長年の課題を積み残したまま。震災の影響も重なり、計画は「絵に描いた餅」(ある大学教授)となっているのが現状だ。
 市民団体が郡市長に署名簿を提出した翌日。市教委は仙台城跡の新たな保存活用計画を作るため、有識者による検討委の初会合を開いた。文化庁が史跡の保存管理だけでなく、活用を重視する姿勢を強めていることも追い風になった。焦点の大手門は復元する方針を従来通り踏襲し、整備時期や活用策が議論される見通しだ。震災を挟み、膠着(こうちゃく)していた事態が動きだした。

<ランドマークに>
 大手門跡の一帯は近年、大きく変貌している。大型コンベンション会場の仙台国際センター展示棟がオープンし、市地下鉄東西線国際センター駅も完成。周辺の青葉山公園では観光や市民活動の拠点となる公園センターの整備計画が進む。
 まちづくりや観光のランドマークとして大手門復元への期待が改めて高まる。藩制時代に御譜代町だった青葉区大町の市大町会の駒井秀重会長(71)は「地域住民が誇りを持てる」と話す。宮城学院女子大の平川新学長(日本近世史)は「本丸御殿再建への足掛かりにもなる」と力を込める。
 「日本の城は格好いいが、仙台にはなく残念」。1月中旬、仙台城跡を訪れたオーストラリア人男性(43)はため息をついた。案内した宮城野区の会社員男性(39)は「(観光客向けに)藩制時代の様子が分かるものがあればいいが」と嘆く。

[仙台城大手門]国内最大級の高さ12.5メートルの素木(しらき)造り2階建てで、仙台城正門だったとされる。仙台市史によると、建造時期は慶長期(1596〜1615年)と寛永期(1624〜44年)の両説ある。1931年、国宝に指定されたが、45年7月に隣接の脇櫓(やぐら)(隅櫓)と共に仙台空襲で焼失した。脇櫓は67年、民間の寄付で再建された。


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2018年02月08日木曜日


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