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<あなたに伝えたい>3年後看護師に 待っていて

◎平塚亜美さん(宮城県東松島市)から俊也さん、恵理さんへ

 亜美さん 看護師を目指し、4月に石巻赤十字看護専門学校に進学します。母の遺影の前に受験票を置き、願掛けしていました。願いをかなえてくれたのですね。
 看護師を志望したのは、震災時の避難所で率先して困った人を助ける姿に憧れたからです。震災後に祖父が亡くなった時、献身的に看病する様子を見て後押しされました。母は「看護師はきついぞ」と言うと思います。覚悟しています。目標は災害派遣医療チーム(DMAT)の隊員です。
 震災後、弟と共に東松島市の祖父母の家に身を寄せました。幼い弟を思って明るく振る舞いながら、兄や姉が欲しいと考えることもありました。今は祖母、伯父一家と共に7人で暮らし、にぎやかな毎日です。
 鳴瀬二中3年の時の「命の授業」で、両親のことを作文にして初めて人前で話しました。多賀城高に入学後、阪神大震災で被災した神戸市を訪れました。地元の高校生と交流し、震災を忘れないように体験を伝えたいという気持ちが強まりました。
 震災当日の両親について、昨年夏、初めて知ったことがあります。20人ほどが避難した高台で津波の見張り役を務め、「津波だ。逃げろ」と叫んだのが父だったらしいのです。大半の人が助かりました。自らを犠牲にした両親を改めて尊敬しています。でも、もっと自分たちのことも大切にしてほしかった。
 お酒が好きだった父。晩酌するとおしゃべりになりましたね。私も20歳になったら飲んでみようかな。社交的だった母。家族の思い出の写真は津波で流されましたが、母の知り合いから写真を頂くことが多いです。
 3年後、看護師になったことを報告します。実家のあった女川に近い石巻市の病院で働くことが当面の目標です。

◎自らを犠牲に避難誘導 両親を尊敬

 平塚俊也さん=当時(34)=、恵理さん=同(33)= 宮城県女川町で女川二小5年だった長女の亜美さん(18)、同2年だった長男の司さん(15)と暮らしていた。海辺のマリンパル女川の鮮魚店で働いていた両親は、避難先の高台で東日本大震災の津波にのまれたとみられ、俊也さんは行方が分かっていない。


2018年02月11日日曜日


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