宮城のニュース

<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第4部・突破(1)衝突重ねて生きた制度に

女川町中心部にできたシーパルピア女川。平屋が連なる商店街を観光客らが行き交う

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町の中心部に2015年12月、テナント型商業施設「シーパルピア女川」が開業した。新たな町の拠点は、民間と行政が手を携えながら、既存の制度の課題を克服してつくり上げた。震災から間もなく7年。先駆的な市街地再生の歩みをたどり、これからの課題を探る。(石巻総局・関根梢)

 「今のグループ化補助金では、目指すまちづくりはできないんです」
 震災から3度目の春を迎えようとしていたころ、町商工会の青山貴博(45)は町を訪れた国の担当者に訴えた。震災直後から事業者の復旧を助けたグループ化補助金制度は、対象が被災した事業者に限られる。
 女川の民間と行政が共に思い描いてきたのは、人々が「住み残る、住み戻る、住み来る」町の姿。にぎわいが継続する魅力的なエリアとするには、町外からも事業者の誘致が必要だ。青山らはそう考えていた。
 12年4月に民間が提供した建物を使用してオープンした町内の仮設商店街「きぼうのかね商店街」は、スペインタイルの工房や飲食店などの新規創業者を生み、育んだ。彼らもグループ化補助金の対象から外れる。「住み来る人たちを救えないんじゃ、駄目だ」。青山らは突破口を探っていた。

 国もまた、震災から3年がたち同様の問題意識を持ちつつあった。各地の被災自治体では市街地のかさ上げ工事が急ピッチで進んでいたが、「まち」の姿はまだ見えず、人口流出に歯止めがかからない。
 当時東北経済産業局復興推進室にいた千葉雅幸(45)=地域経済課=は「都市機能や商業施設を早急につくり、住民の日常生活を取り戻す必要に迫られていた」と語る。
 国は13年度補正予算で、「津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金(津波立地補助金)」の拡充を盛り込んだ。工場や研究所の誘致を目的とした補助金に、商業施設などを対象としたメニューを創設。被災の有無にかかわらず、多様な事業者が中心市街地に進出できるようにした。

 補助金の交付には復興庁による「まちなか再生計画」の認定が必要だ。14年12月、第1号認定を受けたのが、早い段階から復興の青写真を描いていた女川町だった。
 しかし、前例のない認定までの道のりは、苦難の連続だった。女川の民間と行政、国は何度も衝突しながらも、血が通う制度になるよう知恵を絞った。
 特に商業施設の形状を巡り、国の担当者と町側の意見は食い違いを見せた。
 国側は当初、ショッピングモールのような施設を提示したが、町側は「大きな箱物に買い物客を閉じ込めると、町に人の流れが生まれない」と反発した。
 町公民連携室長の山田康人(39)は「民間がリスクを覚悟でまちづくりをすると決めたのに、町が計画を通さないわけにはいかない」と奮起。平屋の分棟にする必要性、経費カットの方策などを示しながら国側と交渉を重ね、6棟の平屋が連なる今の姿で決着を見た。
 女川町は官民が協働で描いた自らのビジョンを信じ、道を切り開いていく。
(敬称略)


関連ページ: 宮城 社会

2018年02月11日日曜日


先頭に戻る