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<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第4部・突破(3)テナント型 費用負担軽く

シーパルピア女川に店舗を構えた「相喜フルーツ」。町民や観光客でにぎわう

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町の中心部に2015年12月、テナント型商業施設「シーパルピア女川」が開業した。新たな町の拠点は、民間と行政が手を携えながら、既存の制度の課題を克服してつくり上げた。震災から間もなく7年。先駆的な市街地再生の歩みをたどり、これからの課題を探る。(石巻総局・関根梢)

 女川町の中心部に2015年12月に開業したテナント型商店街「シーパルピア女川」。官民を挙げたテナント誘致の結果、27店舗の出店が決まった。
 このうち東日本大震災で被災した事業者は約半数の14店舗。13店舗は震災後に町内で起業した人や町外に拠点を置く事業者だ。
 中心部には翌年、同じくテナント型の商業施設「ハマテラス」が開業した。周辺には自立再建の店舗が軒を連ねる。こうした新しいエリアが多くの来街者を呼び込むまでには、店主らの葛藤と決断があった。

 旧女川交番近くに店舗があった「相喜フルーツ」はシーパルピア女川で最もJR女川駅に近い区画に出店した。夫と共に店を営む相原和栄(70)は「自立再建か、入居か、商売をやめるか、迷った」と言う。
 町内に11年7月開業した民設民営の仮設商店街「コンテナ村商店街」で商売を再開したが、土地かさ上げが終わり本設の店舗を建てる頃には70歳目前だ。後継者もいない。
 商業環境への不安もあった。震災当時約1万だった人口は現在約6600まで減少。住民が戻らなければ継続的な顧客の確保は難しい。そうした中でテナント費用を払いながら商売ができるのかどうか、自信が持てずにいた。
 「テナントなら、いつか店を閉めることになっても負担は少ない」。町商工会の青山貴博(45)の助言が背中を押した。設備費は事業者が負担するが、自立再建に比べれば費用は抑えられる。店を畳むときも店舗の処分に頭を悩ませる必要はない。
 「それなら、やろう」。出店後は、観光客向けに店内で作るジュースや土産品の取り扱いを始めた。「今は、ここに入って良かったと思う」と相原は言う。

 若者主体でまちづくりを進め、将来を見据える女川の雰囲気は町外の起業家の目に魅力的に映った。開業時の費用が抑えられるテナント型は新規事業者の参入を後押しした。
 震災後に宮城県南三陸町でせっけん作りの工房を始めた厨勝義(39)は15年、縁があっった女川町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」に入居。翌年、ハマテラスに店を構えた。
 「月々の売り上げの目安もなく、店を持つならテナント一択だった」と厨は言う。現在は卸売りなどで販路を広げ、女川を拠点に事業を拡大している。
 自立再建した店主もいる。商業エリアの一角でカフェを兼ねた洋品店を営む島貫洋子(61)は15年8月、商売を続ける原動力の意味合いも込めて店舗を建てた。
 開店から4カ月後にシーパルピア女川が開業し、客足が流れて「少し疎外感を感じた」と言う。周辺で自立再建店舗の開業が進むにつれ客足が戻ってきたが、「いつまで今の人出が続くのかは分からない」。
 不安と希望が入り交じりながらも、試行錯誤の積み重ねが未来の街をつくっていくと島貫は思う。(敬称略)


2018年02月13日火曜日


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