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<あなたに伝えたい>閖上復興の未来見届ける

慰霊碑に刻まれた和巳さんの名前をなでる武幸さん=名取市閖上6丁目

◎寺沢武幸さん(多賀城市)から荒井和巳さんへ

 武幸さん 家庭の事情で和巳と会えなくなって、もう20年近く。お父さんは2歳の頃の和巳の写真を財布に入れ、肌身離さず持ち歩いています。心の中の和巳は何年たっても、かわいい和巳のままです。
 いつもにこにこ笑顔の和巳。休みの日の朝、寝ているお父さんのおなかの上で足踏みして「起きて」「遊んで」とせがみ、近所の公民館へ散歩に行ったね。
 いつか和巳に会う機会が来るはず。成人した和巳が自分の意志で、お父さんに会いに来てくれないか…。仕事に没頭するしかない孤独な日々の中、淡い期待を心の支えにしてきました。その夢が、震災で打ち砕かれました。
 津波で閖上地区が大変な被害を受けたと聞き、ずっと安否確認をしていました。発生から約1カ月後、和巳が亡くなったことを知りました。でも、今も認めたくない気持ちがあります。
 生きていれば20歳。今年の成人の日、和巳をはじめ犠牲になった閖上中の生徒14人の名前が刻まれた慰霊碑に缶ビールを供えました。成人した和巳と酒を酌み交わす様子を想像したけど、小さな和巳が笑う姿しか浮かびませんでした。
 トラック運転手の仕事で近くを通ると、時間を見つけては慰霊碑に立ち寄ります。近くの日和山から復興事業で変わる閖上の街並みを見て「大人になった和巳はどんな風景を見たかったのかな」と考えます。
 和巳が生きられなかった分まで生きよう。和巳が見られなかった未来を、お父さんが見届けよう。それが、お父さんにできる唯一の仕事だと思う。前を向いて生きるからね。

◎再会を夢見ていたいつも笑顔だった息子

 荒井和巳さん=当時(13)= 名取市閖上中1年だった。東日本大震災発生後、自転車で同市閖上地区にあった自宅方向に向かって走る姿が目撃されている。その後、津波に流され、亡くなったとみられる。父親の寺沢武幸さん(43)とは、幼少の頃から離れて暮らしていた。武幸さんが、和巳さんが亡くなったことを知ったのは、震災から約1カ月後だった。


2018年02月18日日曜日


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