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<羽生結弦>一問一答「杜の都の良さを知ってもらうことで、仙台の復興、宮城の復興に携われたらいい」

「自分自身を貫く」。好きな言葉を披露する羽生結弦選手=2018年2月27日、東京都内の日本記者クラブ

 平昌冬季五輪フィギュアスケート男子で2大会連続の金メダルに輝いた羽生結弦(ANA、宮城・東北高出)は27日、東京都内の日本記者クラブで記者会見を行い、競技への思いや夢を持つ大切さを語った。冗談を交えて笑顔を振りまき、23歳の若者らしい一面もうかがわせた。
 一問一答は次の通り。

 ―66年ぶりの2連覇の感想は。
 「一言で言うと幸せ。ただ、これはフィギュアスケートの歴史では66年ぶりだが、66年前を振り返ると全く違うスポーツ。この4年間、違う競技をしている気分になるほど進化がめまぐるしかった」

 ―被災地への勝利の報告はいつ頃に。
 「いつとは言い切れないが、間違いなく仙台でたくさん応援してくれたのは見ているし、メッセージも頂いた。被災地の方々の笑顔のきっかけになれば良いと思っていた。みなさんにたくさんの思いが届いているのではと思っている」

 ―競技の未来は。
 「5回転や4回転半が主流になることは、この50年間でないだろう。スノーボードのハーフパイプみたいになってしまう。もし、羽生結弦が4回転半などを試合で入れる場合は、確実に表現の一部にする。僕がフィギュアスケートをやっている理由はそういう演技にほれ込んできたから。難易度と芸術のバランスはない。芸術は絶対的な技術力に基づいたものだ」

 ―宇野昌磨ら後輩がすぐ後ろにいる。
 「僕は勝利を確信していた。彼が4回転ループをきれいに決めても負けることはなかった。自分に近づきたいと思ってくれる存在が自分の国の代表としているのは心強い。引退する気はないが、彼に任せられる頼もしさは感じている。ただ、(五輪後の記者会見中に居眠りしたが、そんなことがないよう)人前に出るときは寝るとか、もうちょっと面倒を見なきゃいけないかな」

 ―北京五輪は。
 「まだ未定。4回転アクセルだとか、いまやることをやって、その延長線上に北京五輪があって、出るなら絶対に勝ちたい」

 ―昨年11月のけがからどう組み立てたのか。
 「今できる全力を貫くことが一番だった。できる時とできない時があって、できる時に精いっぱいやるのが大事だと感じた3カ月間だった」

 ―ネーサン・チェン(米国)がショートプログラムで失敗しなかったら、フリーの構成は変わったか。
 「もし(点数が)僕より上になっていたら、自分のリミットを超えたものをやれたかもしれない」

 ―世界一であり続ける中、孤独感を感じることは。
 「なくはない。前回の五輪が終わって、祝福されればされるほど自分の気持ちはどこにあるんだろうって思っていた。周りが幸せになり過ぎていて、僕の幸せは何なんだろうと。今は『ありがとう』『おめでとう』っていう言葉はたとえ気持ちがこもっていないとしても、素直に受け止めるとうれしくなる。それは幸せなものだ」
 「多くの言葉を受け止める中でネガティブな方向に受け止めることはあるが、僕にはたくさんの味方がいて、何よりもすごい実績のある人々が僕を褒めてくれて、こういう風になりたい思っていた人が『彼が本当のチャンピオンだ』と言ってくれることの世界に対して感謝の気持ちしかない」

 ―仙台市でパレードが検討されている。
 「パレードにはたくさんの費用がかかって、特別な支援があってのことだと分かっている。(多くの人が)仙台に来て杜の都の良さを知ってもらうことで、仙台の復興、宮城の復興に携われたらいい」

 ―競技終了後に投げ込まれたプレゼントは。
 「(『くまのプーさん』の縫いぐるみは)森に帰りました。この言葉がすごく好き。ギャグじゃなくて、これが一番ファンタジーでいい」

 ―お金とかの方がいいのでは。
 「すごくリアルなことを言いますよ。現地に来てくれた人はチケットに相当なお金を使っている。フィギュアの観戦費は高い。ファンの人々が全て来ているわけでなく、見に来られない人の応援も(自分の中で)すごく大事にしたい。そういう人にも感謝の気持ちが届くような演技ができればと思っている。プーさんを買ったお金が飛んでるっていうふうに、経済が回っているならそれで十分です」

 ―家族を持ちたいという意向は。
 「はあ、何て答えたらいいのか分かりません。多くのファンがいて、家族を持ったら『裏切られた』って言われるかもしれないし。アイドルじゃないですけど、応援してくださる方がいるのはすごくありがたい。いろいろな幸せや葛藤を皆さんと分かち合えることを大事にしたい」

 ―競技者としての幸せをさらに究めるのか。
 「競技者としては言い切れない。ただ言えるのは、金メダルを取って連覇したのが、たくさんの人の幸せになっていることは間違いない。それができるのは僕しかいなかった」

 ―スケート以外で楽しいと思う瞬間は。
 「ゲームも好きだし、漫画を読むことなどリラックスするのは楽しい。有名なのはイヤホン収集。その楽しい気持ちがあるから頑張れている」

 ―1年ぐらい療養するのか。
 「ソチ五輪後はすぐに試合に出たが、今回は足の治療に専念する。自分のスケートを待ち望んでいる人がいるのはうれしい。アイスショーでも、イベントでも、しゃべる機会でも、自分の声やスケートを見に来てくれる人のために自分の力を使えたらと思っている」

 ―小さいころの夢を継続する原動力は。
 「小さい頃のあこがれなどを信じ切っている自分がいて、それが原動力になっている。スケートをやめなかったのはやれていることが特別だったから。金銭面でも大変だし、先生方もすごく面倒を見てくれた。自分の夢でかなったのは金メダルだけ。ほかの夢はたくさん捨ててきた」


2018年02月28日水曜日


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