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<東北を熱くする 追悼星野仙一さん>(2)3.11 地元のため勝たなきゃ

震災後、初めて仙台に戻り、避難所で被災者を励ます星野さん=2011年4月7日、仙台市若林区

 <2011年3月11日午後2時46分、激しい揺れが東北を襲った。東日本大震災。星野仙一さんが率いて1年目の東北楽天は兵庫県明石市でオープン戦に臨んでいた>

◎はねのけてやる 
 あの時はロッテに負けていた。ベンチが何か集中力がないというか、ざわざわしていました。
 「おまえら、何やっているんだ。ゲームに集中しろ。オープン戦でも勝たなきゃいけないんだ。弱いチームなんだから」と言うと、マネジャーが飛んできて「東北が大変です。地震と津波で大変です」と。
 それはいかん、と審判の所に行って「試合を中止にしてくれ」。そして「すぐに家族の安否を調べろ」。みんなバスで電話したが、3割ぐらい連絡がつかない。それは心配ですよね。
 とにかく着の身着のままでいいから、家族をすぐに球場に来させろ。水も多少の食料もあるからと。すぐにバスを2台用意しまして、新潟回りで家族が来て、われわれは関西から横浜へ。横浜で家族が選手に泣きながら抱きついている姿を見たら涙が出てきました。
 ところが選手は全く野球をやる気がない。われわれは野球が仕事。アマチュアとは違う。「ふざけんじゃねえ」と怒ったわけですよ。「おまえたちの仕事は何なんだ。こういうときこそ、東北の人に勇気を与えるために、俺たちは勝たなきゃいけないんだ」と叱咤(しった)激励してスタートした。
 そのとき思った。こういう災難は、それをはねのけられる男たちに振りかかってくるんだな。よし、これを必ずはねのけてやろうと決心しました。
 <震災後、横浜や神戸など各地を移動しながら練習やオープン戦、練習試合をこなしていたチームは4月7日、ようやく仙台に戻った。星野さんらはその夜、市内の避難所を訪れ、被災者を励ました>

◎被災地の姿に涙 
 あのときは帰る手段もなかった。様子を見ながら、いつのタイミングで選手を古里に帰らせようかといろいろ考えたが、オープン戦もあった。開幕直前になってバス2台でやっと帰った。被災地の光景を見て、みんな涙を流していましたね。
 そういう悪いときにばらばらになる組織もあれば、がしっと固まる組織もあります。幸い、うちの選手はボランティア精神に長けていた。チームが被災地の施設や体育館に行くと、少年たちがはしゃぐんですね。その姿を見てぐっと胸を打たれた。


2018年03月02日金曜日


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