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<あなたと共に>「よそ者」が見た復興(4)栃木県野木町→気仙沼市 心に寄り添い 歌い 祈る

賛美歌やゴスペルを弾き語りする風間さん=気仙沼市、気仙沼ホープセンター

◎牧師 風間哲也さん

<ギター弾き語り>
 愛用のアコースティックギターは、インターネットで買った2万5000円のフェンダー製。ジーンズに白いシャツ、ネクタイを少し緩めた。
 2月25日の日曜日。宮城県気仙沼市の牧師風間哲也さん(58)は、いつものようにマイクの前に立ち、信者向けにアレンジしたゴスペルや賛美歌を弾き語りした。誰もが訪れやすい教会が理想という自称「歌う牧師」が、東日本大震災の被災地で貫く礼拝スタイルだ。
 震災後、気仙沼市に移住した。同市南郷の自宅兼教会で、牧師の妻芳(ほう)さん(49)と一緒に教えを説く。
 青森市生まれ。父親が転勤族で、幼少のころに仙台市に住んだものの東京暮らしが長く、東北とはほとんど縁がない。
 大学留学先の米国で牧師になり、千葉、埼玉を回り、2008年から栃木県野木町の教会で活動していた。震災に伴い家族3人で大阪に避難。米国キリスト教支援団体に請われ、ボランティアとして11年4月、単身で被災地に向かった。
 担当は初めて訪れた気仙沼市南郷地区。米国人と一緒にがれきの撤去や泥かきをした。50人の拠点となった材木倉庫は、後に自分の教会となった。
 作業の合間に住民と触れ合う機会が増え、自然と被災者の状況が耳に入った。
 ある日、仮設商店街で近くの男性に話し掛けた。
 「大変だった?」
 「肉親はみんな死んだ」
 目の前で自宅が流された別の男性は同じ話を繰り返し、泣き崩れた。港町にあふれる悲しみに、耳を傾け続けた。
 12年夏に支援団体が引き揚げたが、「帰れなくなった」。聖職者として、関わった被災者を残して気仙沼を去る選択肢はなかった。半年ほど前に呼び寄せた家族も異論はなかった。

<「自分は定住者」>
 月日は流れ、津波で破壊された街並みは戻りつつある。「日本はすごい。箱物は造り過ぎなくらい」
 でも、心の復興は進まない。教会には津波にのまれて何とか助かった若者も通う。精神的ショックから立ち直れず、今も仕事に就くことができない。
 「とてつもない経験をした人ばかり。区切りなんかつけられない。生きている限り引きずっていく」。息の長い支えが必要だ。気仙沼でやるべき仕事はまだまだある。移住者ではなく「自分は定住者だから」。
 2月最後の日曜日の礼拝は1時間半に及んだ。そして、こう締めくくった。
 「震災から7年。でも、何も終わっていない。気仙沼のために祈りましょう」(気仙沼総局・大橋大介)

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の被災地では今も、国内外から訪れた多くの支援者が活動する。地域に根付き、息長くサポートするうちに移住を決めた人も少なくない。地道に復興を支えながら、「よそ者」の視点で地域の隠れた魅力や可能性を引き出すこともある。彼らの思いに迫る。


2018年03月04日日曜日


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