宮城のニュース

<新浜に吹く風>仙台・被災地の奮起/「みんな」再び集う場に

みんなの広場の完成を祝う関係者。子育て環境の充実に向けて期待が大きい

 東日本大震災の津波被災地、仙台市宮城野区岡田の新浜(しんはま)地区で、新しい町のかたちが見え始めている。震災から7年。子どもたちの遊び場が完成し、市民農園、グラウンドゴルフ場などの事業がこの春、動き始める。七北田川に沿って泉ケ岳おろしが吹き、海寄りの風が強い新浜。現地再建を進め、交流人口の増加を目指す「風の町」を歩いた。(報道部・岡田芽依)

◎(上)理念

 この日も、雪交じりの冷たい風が新浜に吹き付けていた。
 地区中心部の広場で2月17日、つる棚とベンチ6脚の完成式があった。津波で集会所が流失し、更地となった場所に熊本県南部の湯前(ゆのまえ)町と水上村が寄贈。「みんなの広場」と名付けられた。
 「熊本県の皆さんのおかげだ。お互いに復興へ進みたい」。熊本地震の被災地から届いた支援に、住民らは心が温まるのを感じた。
 新浜町内会副会長の遠藤芳広さん(67)は顔をほころばせた。「ここは震災前、子どもたちをはじめ住民が集う心のよりどころだった。もう一度、人が集まれる場所になる」

<子どもの姿減る>
 新浜では外部の支援によるインフラ整備が盛んだ。建築家伊東豊雄氏が旗振り役となった集会所「みんなの家」。被災した新浜の住民が移り住んだ仮設住宅隣に熊本県が建設し、仙台市が昨年4月、新浜に移築した。現代美術家の川俣正氏は貞山運河に架ける「みんなの橋」を構想する。
 広場を「みんな」と名付けたのは、幅広い世代や地区内外の人に、新浜に親しんでもらいたいという思いが込められている。
 世帯は震災前の半分に減った。約30人いた小学生は2人に減り、盛んだった子ども会も盆踊りもなくなった。無職平山一男さん(71)は「家族同士の付き合いが薄くなった気がする」と寂しそうに語る。
 買い物客や観光客でにぎわうJR仙台駅東口と同じ宮城野区。新浜は108万都市にあって、復興にもがく現在進行形の被災地だ。

<「若者呼び込む」>
 「みんな」の理念を生かし、現実に立ち向かおうと、住民が動き始めている。
 快晴に恵まれた元旦。津波避難タワーで避難訓練を兼ねた初日の出観賞会を初めて開いた。朝日が新浜を赤く染める。参加した住民らは手を合わせ、互いの絆を確かめ合った。
 昨年はまち歩きイベント「新浜の渡し船とフットパス」を計6回開いた。渡し船で貞山運河の向こう岸に渡り、石碑群の見学や海浜植物を観察してもらった。
 船頭を務めた農業瀬戸勲さん(74)は「新浜の魅力を発信し、いずれ多くの若い世代に住んでもらえるようにしたい」と話す。地域資源を観光に結び付ける動きに住民は腕まくりする。

<メモ>新浜地区は仙台市宮城野区東部の太平洋岸に位置する。江戸時代から続く集落で農業が盛ん。海風が強く、震災前は海岸林に守られていた。東日本大震災の津波で住民約60人が犠牲になった。震災前にいた約150世帯のうち、約70世帯が現地再建を果たした。


関連ページ: 宮城 社会

2018年03月04日日曜日


先頭に戻る