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<止まった刻 検証・大川小事故>上に、上に水中でもがく

裏山から望む大川小。男性はコンクリートたたきを歩き、他の避難者と裏山で一夜を明かした=石巻市釜谷

 東日本大震災で石巻市大川小は児童・教職員計84人が津波の犠牲となったが、周辺ではかろうじて助かった地域住民もいる。当時大川中1年だった男性(20)は大川小の裏山に避難する途中で大津波にのまれながら、奇跡的に一命を取り留めた。震災7年を前に当時の生々しい体験を語った。

◎裏山で一命取り留める 当時中学1年の男性の証言

 3月11日は中学校の卒業式で、学校は午前中で終わった。午後から大川小がある釜谷地区の友人宅2階でゲームで遊んでいた。
 午後2時46分、突然、激しい揺れに見舞われた。揺れが収まってから県道に出ると、電柱が折れそうな勢いで揺れていた。
 隣家の塀は崩れ落ち、原形をとどめていなかった。「何が起きたの」。近所の人が顔を見合わせていた。
 近くにある自宅に帰ると、食器棚が倒れ、部屋は物が散乱していた。余震が続き、いったん収まってはまた大きく揺れた。

 「津波が来る、逃げろ!」
 地震発生から約40分が過ぎた頃、一緒にいた父が発した。避難する住民の車が猛スピードで自宅前を通過していった。
 自宅から最も近い高台が大川小の裏山だった。小学校時代、シイタケ栽培の学習で利用し、虫捕りをした場所だ。
 裏山を目指し、駆け出した。両親は高齢の祖父に付き添い、やや後方を追い掛けてきた。田んぼ道と公園を通り、最短経路で向かった。
 裏山まで約20メートル手前で急に体が持ち上げられた。まぶたの隙間から真っ黒い液体が見えた。
 「これが津波か」
 気付いた時には全身が水の中だった。背丈を優に越える津波が押し寄せたようだ。
 上に、上にと、水中で40秒はもがいたか。斜面に打ち付けられ、首から上が水面に出た。塩辛く、泥のようなざらついた感じが舌に残る。津波を飲んでいた。
 がれきがぶつかった頭と腕が痛む。目がひりひりしたが、そっと開けた。濁流が視界を埋め尽くし、家族は見つけられなかった。

 震災の1年前、大川小を卒業した。全校児童は約100人。休日は校庭でエアガン戦争に興じ、所属する野球チームの部室に石を投げ、窓ガラスを割ってしまったこともある。やんちゃで楽しい思い出ばかりだ。
 震災当時、6年担任だった男性教諭=当時(37)=は5年の時の担任だ。ちょっと説教が長いが、悪いことをしたらしっかり叱ってくれる先生だった。スポーツのクラブ活動で仲良くなり、熱血で好きだった。
 小学校時代、避難訓練はいつも校庭まで。津波について学んだ記憶はない。誰も津波が来るとは思わず、とりあえず校庭に逃げれば大丈夫と考えていたのだと思う。
 教職員や児童が最後に向かった場所は、北上川近くの堤防道路(三角地帯)だったと聞いた。児童全員を連れて行くには、裏山は危険だと考えたのだろうか。


関連ページ: 宮城 社会 大川小

2018年03月07日水曜日


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