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<止まった刻 検証・大川小事故>第5部 漆黒(2完)凍える一夜 悪夢か現実か

裏山の竹やぶで震災当日の夜について語る只野さん。7年たつ今も周辺にはたき火の跡が残っている=1月20日、石巻市釜谷

 「助けて、助けて」。石巻市大川小がある釜谷地区の女性(74)は消え入るような声を聞き、裏山の斜面で頭を抱えていた。3月11日の津波にのまれ、一命を取り留めたが、濁流が行く手を阻んでいた。
 2〜3メートル先の木に1年の女子児童がつかまり、激流に耐えていた。「つかまれ」。同じ釜谷の高橋和夫さん(70)が胸まで水に漬かり、小さな手を引き寄せた。高橋さんも間一髪助かったばかりだった。

 当時5年の只野哲也さん(18)=高校3年=は、少し離れた裏山の斜面から海と化した北上川一帯をぼうぜんと眺めていた。わずかな時間、夕日が差し、北上川を照らした。只野さんは「三途(さんず)の川みたいだ」と思った。
 「誰かいるか」。市河北総合支所の職員が、只野さんと同級生の男子児童を見つけた。堤防道路(三角地帯)側でぎりぎり助かった後、周囲を捜索していた。
 支所職員が裏山で生存を確認したのは高橋さんら計16人で、小学生は只野さんら3人。男性教務主任(56)と当時3年の男子児童とは会わなかったという。うめき声を上げていた60代の男性は、夜明け前に息を引き取った。
 水が引く気配はなかった。一行は竹やぶの斜面で比較的平たんな場所を探し、たき火を始めた。支所職員が持っていた使い捨てライターが役に立った。スギの葉や古倒木、枯れた竹などを燃やした。
 山中で見つけたブルーシートで囲いを作り、降雪と風をしのいだ。ほぼ全員ずぶぬれだった。塩気を含む服は乾きが悪かった。
 この夜の最低気温はマイナス1.4度。一晩中、毎秒5〜7メートルの風が吹いていた。凍った枝がパキパキと音を立てる。只野さんの歯はミシンのようにガガガガと鳴った。
 偶然、ビニールに包まれた布団が流れてきた。「少しでも暖を取った方がいい」と促され、児童らが交代でくるまった。
 レジ袋に入った菓子も流れ着いた。津波襲来前、民生委員の50代女性が「子どもら、おなか空いてると思うから」と校庭に持ってきたものとみられる。ミカンやパンも漂着した。
 子どもたちは泣きながら食べた。渇いた喉を雪で潤す。頭からパラパラと砂が落ちてきた。

 津波は約1時間おきに真夜中まで押し寄せた。当時の支所職員及川利信さん(64)が記憶する。その度に海鳴りが聞こえ、車などの鉄くずがガチャガチャと音を立てた。
 午後7時ごろに押し寄せた津波は、たき火近くまで迫った。一行はさらに上へ移動し、野宿を再開した。
 只野さんがかぶっていた通学用のヘルメットは、ひびが入っていた。津波に襲われ、割れたとみられる。地震発生後に校庭を訪れ、いったん自宅に戻ろうとした母しろえさん=当時(41)=を心配し、渡そうとしたものだ。
 「危ないから、かぶってなさい」。母の一言が只野さんを救った。この時の短いやりとりが母と子の最後の会話になった。
 只野さんは竹やぶの斜面に寝転がり、ササの切れ間に広がる夜空を眺めていた。星は見えなかった。下の光景は見たくなかった。
 「みんな死んじゃったの?」。漆黒の闇の中、寂しさと不安が募る。けがで充血した目が痛む。洗う水もない。
 大人たちが「寝ると死ぬぞ」と注意したが、子どもたちは深い眠りに就いた。
 「これは悪夢か。現実なのか」。たき火に枝や葉をくべながら、及川さんは一晩中考えていた。


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2018年03月07日水曜日


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