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<あなたと共に>「よそ者」が見た復興(8完)韓国→福島市 風評収束への懸け橋に

震災後に自宅近くの古民家を改装して開いた韓国料理店で、市民と語り合う鄭玄実さん=福島市町庭坂

◎NPO法人理事長 鄭 玄実さん(56)

 韓国の若者を案内すると、まず驚かれる。「福島で普通に暮らしている人がいる」。帰国の際、若者らは「誤解していた。福島の人たちをどれだけ傷つけてきたことか」と申し訳なさそうな表情を見せる。

<祖国の若者招く>
 福島市のNPO法人ふくかんねっと理事長鄭(チョン)玄(ヒョン)実(シル)さん(56)は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に遭った福島県に、祖国韓国から若者を招く事業に取り組む。震災後、使命と決意はより明確になった。
 漁港見学、農家滞在、観光地巡り。「原発事故の影響がほとんどない地域がある」と肌で感じてこそ得られる理解。原発事故による福島の風評が軽々と海を越える現実に、政治課題にも増して市民レベルの理解が欠かせないと実感した。
 1984年に来日し、早大などで日韓の神話などを研究。2000年に家族と共に福島市に移り住んだ。韓国語の学習会やキムチ作り講習会、伝統文化の紹介といった催しを通じ、市民レベルで日韓の橋渡し役を担ってきた。06年にはNPO法人を設立した。

<現実の福島見て>
 地道に温めた友好を一気に凍らせたのが11年。「福島に住めない」「福島産の食べ物は全て危険」。インターネット上には事実と異なる韓国語の情報があふれ、悲しくなった。
 居ても立ってもいられず、震災後約1年間は、市内の避難所などで沿岸部から逃れて来た人たちに、キムチや韓国料理を振る舞った。その間も韓国での風評は収束せず、気持ちは沈むばかりだった。
 徒労感の中、思った。人生の半分を韓国、半分を日本で過ごした。住んで10年以上の福島では日韓交流を地道に続けた。そんな私に今できることは何?
 「さまざまな立場を持つ私だから言えること、韓国人の心に届く言葉があるはずだ」。行き着いたのは「現実の福島を見てもらうこと」。NPO法人として手掛けた福島への招待事業は、震災に伴う中断を経て12年4月に再開。その後は風評による誤解を正す狙いを前面に出し、昨年までに約500人を案内した。
 熱意が通じたのか。韓国の若者は帰国後、会員制交流サイト(SNS)などで食の安全対策、観光スポットなど福島で見聞きした情報を伝えるようになった。
 「国も人も望ましい関係を築くには相手をよく知ることが大切。同時に『自分は何者なのか』を知ることも重要だと気付いた」
 普段はあまり意識しない自分の立場や経験は時に言葉や行動の力になる。「それは日本人も同じ」。被災地のためにできる力は誰もが持っていると信じる。(報道部・武田俊郎)


2018年03月08日木曜日


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