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<震災7年>学生が見た福島第1原発の今 「廃炉 課題引き継ぐ」 事故の激しさ実感

原子炉建屋付近で東電の担当者の説明を聞く学生たち=2月22日、福島第1原発

 未曽有の災禍を引き起こした事故から丸7年となる東京電力福島第1原発に、東北大の学生3人と共に入った。空間放射線量が下がり、見学者は年間1万人に上るが、一般の学生が廃炉の現場を視察する機会はほとんどない。ボランティア活動などを通して被災地に触れる3人の目に、廃炉の現状はどう映り、何を感じたのか。(福島総局・阿部真紀、写真部・佐藤将史)

 視察したのは文学部2年村上敦哉さん(21)=多賀城市=、理学部1年飯田司さん(20)=仙台市青葉区=、薬学部1年川島萌さん(19)=同=。3人は大学のボランティアサークルで宮城県内の津波被災者らとの交流イベントに携わる。同行取材の呼び掛けに「現場を見たい」と応じた。

<今も津波の跡>
 構内は除染や舗装が進み放射線量が低下。一般服で敷地の95%に立ち入ることができる。3人は線量計を付けたベストに紙マスク、ヘルメットの装備で入った。川島さんは「全身を覆う防護服で入るのかと思っていた」と意外な様子だった。
 海抜約35メートルの「35メートル盤」と呼ばれる高台から1〜4号機の原子炉建屋を望む。3号機は使用済み核燃料の取り出しに向けたドーム屋根設置が完了したばかり。鉄骨がむき出しになった1号機上部では、がれき撤去のクレーンが動く。
 東電の担当者は「事故直後に毎時2000ミリシーベルトだった建屋上部は、がれき撤去や遮蔽(しゃへい)で100〜900ミリシーベルトに下がった」と説明。飯田さんは「水素爆発した原発をこれほど近くで見られるとは思わなかった。テレビで見るよりスケールが大きく、事故の激しさも感じる」と語った。
 バスに乗り、さらに原子炉建屋に近づく。護岸の近くでは津波で壊れたままの設備も目に付く。川島さんは「3号機の屋根カバーなど建屋の上の方は高い技術で作業が進んでいるが、津波の痕跡が今も残り『まだまだこれから』の部分も多い」との印象を持った。

<町の風景荒涼>
 3人は作業員が利用する大型休憩所の食堂で食事をし、コンビニで買い物もした。「原子炉建屋から離れた場所は普通の工事現場と変わらないようだ。『核を取り扱う場所』という以前のイメージとは違った」と村上さんは言う。
 東電の担当者は建屋周囲の井戸「サブドレン」や凍土遮水壁などの効果で、汚染水発生量が減少傾向にあることを示し「ご心配、ご迷惑を掛けた汚染水対策はある程度進んだ」と話した。「廃炉の核となる溶融燃料取り出しは完了まで30〜40年かかる」とも語った。
 村上さんは「来る前は遠い存在だったが、仙台からわずか100キロほどの場所で事故が起き、廃炉作業が続けられている」と実感。「廃炉や復興は長い時間がかかる。自分たちの世代も引き継がなくてはならない問題だと思った」
 第1原発を出た3人はバスで集合場所の福島県富岡町に戻った。帰還困難区域の国道6号沿いはバリケードで封鎖され、壊れたままの住宅や商業施設が残る。原発構内は多くの作業員が出入りするだけに、荒涼とした風景が余計に際立つ。
 「廃炉作業は現在進行形だった。でも、町の風景は時間が止まっているように見えた」と川島さん。飯田さんは「今度は廃炉や復興について地元の人に話を聞いてみたい」と話した。


2018年03月10日土曜日


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