福島のニュース

<震災7年・10代語り始める>(6完)100年後に伝える石碑建てたい

志津川高で新地町の津波伝承研究と自身の被災体験を話す小賀坂さん(後列中央)=1月9日、宮城県南三陸町

 10代の子どもたちが、「あの日」を語り始めた。幼かった頃に東日本大震災を経験し、7年がたった。当時は表現できなかった震災への思い、未来への希望。風化に抗い、復興へ進む地域のこれからを担う世代の声に、耳を傾ける。

◎福島・新地高1年 小賀坂美咲さん(16)/過去の津波 考察し論文/同世代と被災経験共有

<中庭で追悼式>
 東日本大震災の津波の映像が映し出された。教員がそわそわと見回る。泣いたり、気分が悪くなったりする生徒はいなかった。福島県新地町の新地高体育館で13日、石巻市の震災語り部を招いた講演会。同校1年小賀坂美咲さん(16)も胸をなで下ろした。隣の生徒に声を掛ける。
 「ああいうの見ると思い出しちゃうね」「そだね」。1年前なら話はそこで途切れたが、小賀坂さんは続けた。「つらいけど震災の記憶は形にして残さないと」
 新地町は震災の津波で町の2割が水没、116人が犠牲になった。新地高でも生徒9人が亡くなり、多くの生徒が東京電力福島第1原発事故で自主避難した。
 震災当時は町内の小学3年。地震直後に家に帰ると飛行機のエンジンのような音が聞こえた。津波に気付いた祖父の車に飛び乗り、高台の公民館へ逃げた。車の後ろにがれきの山が迫った。家族は無事だったが、声を上げて泣いた。
 昨年3月11日に始まった同校の震災伝承事業「おもひ(い)の木プロジェクト」のメンバー。毎月11日前後、校内の中庭に植樹した「おもひの木」の前で追悼式を開く。地理歴史班に所属し、震災の記憶を残す活動に取り組む。
 着目したのは過去6000年の間、町に7回の大津波が押し寄せたのに大人たちが「町に津波は来ない」と信じていたこと。「伝統的な避難場所の八千山が開発で切り崩されたことなどが記憶の風化につながった」。自分たちなりの考察を論文にまとめた。
 昨年11月、奈良市で開かれた全国高校生歴史フォーラムで論文を発表し、奈良大学長賞を受賞した。今年1月に宮城県南三陸町の志津川高、今月18日には徳島県を訪れ、自身の被災体験を発表。県内外の同世代と被災経験を共有することは互いにあの日を忘れず、後世に伝えていくために大事なことだと感じる。

<被災話控える>
 小中学校時代、震災や原発事故の話ははばかられた。誰が家族を亡くし、家を失ったのか分からない。報道で初めて同級生の悲劇を知ることも多かった。
 プロジェクトに参加して仲間のつらい体験を知り、自分も震災の話をしていいんだと思った。話せない同級生がいる中、「私がまず震災に向き合おうと思った。失ったものの記憶を薄れさせたくない」。
 今後は町内の津波到達点に石碑の建立を計画する。
 「100年後、この石碑を作り直してください。2211年の人たちへ。この歴史を伝えるために」。碑文に、こう刻むつもりだ。(報道部・菅谷仁)


2018年03月17日土曜日


先頭に戻る