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<戊辰戦争150年>論考・維新と東北(6)朝敵は征伐 見せしめ徹底

新政府が「官軍」の戦没者を祭った靖国神社。「賊」と扱われた会津藩士らは慰霊されなかった

◎長州藩はなぜ官軍になったか(下)萩博物館特別学芸員・一坂太郎さん

 <明治天皇を擁し「官軍」となった長州、薩摩両藩を中心とする新政府軍は、「朝敵」となった会津藩の征伐に向かう。萩博物館(山口県萩市)特別学芸員の一坂太郎さん(51)は「新政府軍が東北を攻撃した理由は(長州藩士)木戸孝允の言葉に象徴される」と言う>

◎禍根残さぬよう

 木戸は戊辰戦争について「大政一新の最良法」と述べていた。岩倉具視らに宛てた手紙には「『膏薬(こうやく)療治』で速やかに表面の形だけ整えては、他日再び禍害が生じる」とある。徹底的に武力でつぶさなければ、禍根を残すと考えた。
 新政府軍の表の大義は、錦旗に発砲し、朝廷に逆らった会津藩を倒すこと。裏の大義は、天皇の名の下に統一国家を築くため「逆らえばこうなる」という見せしめをつくることだった。
 <戊辰戦争後、新政府は東北などの「賊軍」の復権を認めなかった>

◎靖国 対象色分け

 その象徴が靖国神社(東京)だ。新政府は幕府が加護した仏教ではなく、招魂という神事で戊辰戦争の戦没者を祭ろうとした。1869年、招魂場の全国版である東京招魂社を創建。10年後に靖国神社と改称した。
 古来、日本では戦死者の慰霊は敵味方の区別なく行われてきた。「禁門の変」後も会津藩、長州藩などが一緒に慰霊された。
 しかし、新政府は敵の戦死者はあくまで「賊」として扱い、慰霊対象にしなかった。同じ国民同士を色分けしたところに、靖国神社の矛盾点があった。
 靖国神社の大祭は9月22日、会津落城の日だった。他の大祭は鳥羽・伏見の戦いの1月3日、彰義隊が壊滅した5月15日、五稜郭が陥落した5月18日。政権に逆らうことがいかに不義かを知らしめた。
 明治維新は近代化の出発点になった。近代国家を造り、独立国として生き残ったことは評価できる。しかし、近代化を急ぐあまり、考える暇を与えずに力ずくで政策を進め、日本を有らぬ方向へと導いた。
 <戊辰戦争と明治維新から150年を迎える>

◎反省の視点必要

 戦争から60年後、実際に見聞きした人々を取材した「戊辰物語」が東京日日新聞に連載された。岩波文庫で出版もされているが、江戸っ子に「薩長の田舎侍が自分たちの都をめちゃくちゃにした」という意識があったことが分かる。
 100年後の1968年は政府が明治維新を美化して催しを開いた。太平洋戦争から約20年しかたっておらず、「近代化は日本やアジアにとって良かったか」と疑問視する声があった。
 150年を迎えた今年、明治維新はイベントの材料でしかなくなった。一方で「明治維新は間違い」とあおるような本の出版が相次いでいるが、どっちが正しい、悪いという話ばかりだ。そんなことで歴史は評価できない。
 歴史は「英雄偉人たちの紙芝居」ではない。吉田松陰が「老中を殺せ」などと言ったのも事実。そこを切っては歴史ではなくなる。会津戦争は悲惨だった。一般人が巻き込まれ、会津の人は大変な辛酸をなめた。多くの人が決して忘れてはいけない歴史だ。
 明治維新150年は歴史を考える年にしなければならない。その中に反省という視点が絶対に不可欠。今の政府のような、ひたすら美化して都合が悪いものにはふたをする姿勢では歴史は見えなくなる。どこで、なぜ、道を誤ったかは常に議論が必要だ。

[彰義隊]15代将軍徳川慶喜の復権を掲げ、旧幕臣らが結成。上野・寛永寺に立てこもり、新政府軍に壊滅させられた。


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2018年03月26日月曜日


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