Feature特集

写真協力:庄内観光コンベンション協会
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2018.04.05号掲載

歴史でたどる
山形県 庄内さんぽ

150年前に勃発した戊辰戦争において、薩摩や長州などからなる新政府軍と互角以上の戦いを繰り広げた庄内藩のことをご存じだろうか。現在の鶴岡市、酒田市などからなる庄内藩は、度々訪れた藩存続の危機をどう回避したのか、戊辰戦争ではどう戦ったのか。編集部のKが庄内エリアの歴史をたどる旅に出た。一体どんな旅になったのか、乞うご期待。(K)

藩主・家臣・領民

結束力で危機回避

死を覚悟の嘆願

庄内藩の歴史について話を聞いたのは、庄内藩の藩主を務めた酒井家の19代・酒井忠順さん。酒井家は徳川四天王の1人・酒井忠次の子孫で、1622年に庄内に入部。以来、何度か転封の危機はあったものの、酒井家と家臣、領民が結束することで乗り越えている。

「歴代藩主は農政に力を注ぎ、領民に優しい政治を心掛けてきました。だから領民に信頼されたのかもしれませんね」と酒井さん。1840年には、非常に豊かだった庄内藩に目を付けた他藩の藩主が庄内への国替えをもくろんだ「三方お国替え」という危機が訪れる。

酒井家への転封命令を知った領民らは「酒井様が庄内から出て行かれては困る」と、江戸へ出向き幕府に転封撤回の嘆願活動を繰り広げた。本来ならば死罪となる領民たちの行動の結果、酒井家の転封は撤回された。まさに異例中の異例。奇跡的な出来事だった。


領内へ侵入許さず

戊辰戦争でも庄内藩は驚くほど団結する。庄内藩が動員した兵の半分は農民・町民だったという。さらに、日本一の大地主と呼ばれた本間家のバックアップで最新式の銃を導入。ついに新政府軍の領内への侵入を許すことなく終戦を迎える。

「本間家からの支援、農兵・町兵の参加に加え、庄内藩は藩士教育に力を入れていたこともあり、優秀な指揮官も多かったようです」と酒井さん。

戊辰戦争後、新政府から会津への転封や賠償金を請求された際も、家臣や領民が転封撤回の嘆願活動を行ったり、賠償金支払いのために藩へ献金したりしたそう。

強い結束力で江戸時代を乗り越えた庄内藩。明治以降も松ヶ岡開墾場に代表される殖産興業に取り組んでいく。


松ヶ岡開墾場

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