ベネチア国際映画祭報告2007

8完.李安監督の才能

2007/9/10

授賞式後の記者会見を終えて、サインに応じる李安監督

 8日の授賞式の夜、審査員長の張芸謀から金獅子賞に李安の名が呼ばれると、記者会見場のスクリーンで式の中継を見ていたプレスの間から、一斉に大きなブーイングがあがりました。中国と台湾の違いがあるとはいえ、同じ中国人が中国人に最高賞を与えたことにアンフェアさを感じてのことか。あるいは2年前に「ブロークバック・マウンテン」で既に金獅子賞を獲っているリーの早過ぎる再度の幸運への抗議か、3年連続で中国人が最高賞を獲得していることへの不満か、あるいは、そのすべてかもしれません。前のレポートでもお伝えしたように、欠点のない映画を作る李安の才能が、こうした多数の審査員の討論で賞を決定する場で、またしても力を発揮したのだと私は思います。

 今年の賞の特徴は、賞の数の多さと、一種の公平さです。「色、戒」、「麦粒と鯔」、「アイム・ノット・ゼア」の3本にそれぞれ2つ、「リダクテド」、「ジェシー・ジェームズ暗殺」、「イッツ・ア・フリー・ワールド…」、「12」に1つと、賞を増やしてまで公平にパイを切り分けようとしている感があります。会見で、中国人記者から「色、戒」の俳優には賞は出なかったのかという質問が出て、映画祭の方から、金獅子賞とヴォルピ杯は同じ作品がダブって獲ることはできない規則があるという説明がありました。確かに今回の裁定のひずみは男女優賞で、6人の俳優がボブ・ディランを演じる「アイム・ノット・ゼア」の1人だけが女優賞(ケイト・ブランシェットは1966年のボブ・ディランを演じている)というのは変だし、「ジェシー・ジェームズ暗殺」にしても、暗殺者のロバート・フォードを演じたケイシー・アフレックの方が主役であるはずです。

 「麦粒と鯔」は、チュニジア系フランス人のアブデラティフ・ケシシュが母国に戻って作った作品で、安い移民労働者のために造船所をクビになり、別れた妻からも軽視されている男が、魚のクスクスを出すレストランを開き、人としての威厳を取り戻そうとする姿を描いたもの。麦粒とはクスクス(挽き割り小麦)の粒のことです。

 ニキータ・ミハルコフの「12」は、シドニー・ルメットの名作「12人の怒れる男」を現在のロシアに移したもので、チェチェン紛争で孤児になった少年が義父のロシア人を殺したとされる事件を12人の陪審員が裁定するうちに、事件の真相と陪審員それぞれの過去が明らかになって…、という2時間33分の力作。

 今年、私が見た中で最も強く印象に残ったのは、ジョナサン・デミの「プレーンズから来た男」でした。この作品は、昨年、「パレスチナ、アパルトヘイトでなく平和を」という本を出版したジミー・カーター元大統領の活動を描いたドキュメンタリー。ユダヤ系が強い影響力を持つアメリカで、パレスチナ側に立って発言することの難しさ(とはいえ、カーター元大統領は一方的にパレスチナの肩を持っているわけではありません)を感じると共に、アトランタにカーター・センターを設立し、今もなお“世界の人々のために何ができるか”を考え、実践している姿に感動しました。会見でジョナサン・デミは、難しい問題をマスコミが取り上げなくなっている風潮を指摘、マイケル・ムーアの成功でドキュメンタリーが劇場公開できる道が開いたので、これからもドキュメンタリーを作っていきたいと力強く語っていました。2期続いたブッシュ政権の下、アメリカがどう変わったか、これからどう変わっていくか。それを教えてくれるのは、今はマスコミではなく、マイケル・ムーアやスパイク・リーやジョナサン・デミの作るドキュメンタリーなのかもしれません。

コンペティション部門
金獅子賞(作品賞) 「色、戒」監督李安
銀獅子賞(監督賞) ブライアン・デ・パルマ「リダクテド」
審査員特別賞 「麦粒と鯔」監督アブデラティフ・ケシシュ
「アイム・ノット・ゼア」監督トッド・ヘインズ
ヴォルピ杯(男優賞) ブラッド・ピット「ジェシー・ジェームズ暗殺」監督アンドリュー・ドミニク
ヴォルピ杯(女優賞) ケイト・ブランシェット「アイム・ノット・ゼア」
マルチェロ・マルトロヤンニ賞(新人俳優賞) ハフシア・ヘルジ「麦粒と鯔」
オゼッラ賞(撮影賞) ロドリゴ・プリエト「色、戒」
オゼッラ賞(脚本賞) ポール・ラヴァティ「イッツ・ア・フリー・ワールド…」監督ケン・ローチ
特別金獅子賞 ニキータ・ミハルコフ
オリゾンティ部門
オリゾンティ賞 「オータム・ボール」監督ヴェイコ・オウンプー
オリゾンティ・ドキュメンタリー賞 「無用」監督ジャ・ジャンクー
ルイジ・デ・ラウレンティス賞(新人監督賞) 「ゾーン」監督ロドリゴ・プラ
短編部門
銀獅子賞(最優秀短編賞) 「ドッグ・オールトギャザー」監督パディ・コンシダイン

筆者紹介

齋藤敦子さん 映画評論家。パリで映画編集を学んだ。フランス映画社宣伝部から90年にフリーとなる。G・ノエ、グリーナウェイの諸作品を字幕翻訳。最新作は「麦の穂をゆらす風」。「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)などの翻訳書も。