カンヌ国際映画祭報告2008

7.滅びへの疾走 「チェ」

2008/5/25

 映画祭も残すところあと2日。気の早いヨーロッパのジャーナリスト達は、週末を家で過ごすために帰り支度を始めました。今年は作品的には小粒なうえに、去年のムンジウの「4ヶ月、3週と2日」のような、誰もが一致して評価する作品がなく、フランスの批評家はアルノー・デプレシャンの「あるクリスマスの話」を、英米の批評家はヌリ・ビルゲ・ジェイランの「3匹の猿」を一番押してはいるものの、それでも抜きん出ていいというわけではなく、誰に聞いても今年のパルムがいったいどこへ転がっていくのか、まったくわからない状況です。

 そんな終わりに近づいたカンヌで、私が今年最も期待していた作品2本、スティーヴン・ソダーバーグ監督の「チェ」とチャーリー・カウフマンの「シネクドキ、ニューヨーク」がコンペ部門で相次いで上映されました。  「チェ」はソダーバーグが7年の歳月をかけて完成させた4時間半の大作。あまりにも有名な革命家エルネスト"チェ"ゲバラの活動と死を二部構成で、といっても、まったく違う2本の作品で描いたものです。第一部はカストロと共にキューバに上陸してから革命を成功させる直前までに、1964年のニューヨーク訪問を重ねて、彼の思想を中心に描いたもの。第二部はボリビアでの1年足らずの戦いを、時間を追ってドキュメントしていくもの。作風もスクリーンサイズも違いますが、見終わると2本が互いを補完しあっていることに気づくのです。

 私は特に滅びに向かって疾走していくゲバラを2時間に渡って追い続ける第二部が好きでした。南米出身の知人に言わせると、ベニシオ・デル・トロのプエルトリコ訛のスペイン語は、ゲバラを崇拝する南米人にとってはとても許せない欠陥(ゲバラはアルゼンチン人)だそうですが、プロデューサーも兼ねて、この作品に賭けたデル・トロの入魂の演技は、外見は特に似ているとも思えなかったのに、ときどきハッとするほど真に迫って感じられました。

 チャーリー・カウフマンは「マルコビッチの穴」や「エターナル・サンシャイン」といった独特の世界を生み出すので知られる脚本家で、「シネクドキ、ニューヨーク」は彼の監督デビュー作です。シネクドキというのは、一部で全体を、全体を一部で現す提喩法という表現法のこと。妻(キャサリン・キーナー)と娘に去られ、謎の神経病に罹った演出家ケイデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)が自分の人生を芝居で再現しようとするうちに、虚実の境があいまいになっていき、やがて倉庫の中に彼の人生を再現した巨大な"書き割り"が出来上がるという不思議な映画でした。

 アイデンティティの問題はカウフマンが一貫して描いてきたテーマ。スパイク・ジョーンズが監督した「アダプテーション」には自分の分身を2人登場させ、脚本家が原作を映画にアダプテーションする難しさと人生をアダプテーションする難しさを描いていましたが、今回もまた彼自身を思わせる演出家を狂言回しに使って、病気、老い、孤独、死への不安を描いていました。ケイデンが何十年もかけて再現したニューヨークの中のニューヨークの中のニューヨーク…が全貌を現すラストシーンには思わず息をのみました。

写真は「シネクドキ、ニューヨーク」の記者会見の模様で、左からミシェル・ウイリアムズ、チャーリー・カウフマン、キャサリン・キーナー、フィリップ・シーモア・ホフマンです。

筆者紹介

齋藤敦子さん  映画評論家。パリで映画編集を学んだ。フランス映画社宣伝部から90年にフリーとなる。G・ノエ、グリーナウェイの諸作品を字幕翻訳。  最新作は「麦の穂をゆらす風」。「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「奇跡の海」(幻冬舎文庫)「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)などの翻訳書も。