ナント3大陸映画祭報告2007

3.伝統へのまなざし「千年鶴」

2007/11/28

「サミラの庭」上演前にあいさつする左からラフォール監督、映画祭ディレクター、ジャラドゥ氏、主演女優

 24日はコンペ部門で中国と韓国、イラン、モロッコの4作品、大島渚特集の「愛の亡霊」の計5本を見た。

 韓国の「千年鶴」は、伝統芸能パンソリの世界を描いたイム・グォンテク監督の作品。

 ソフォンとトンホの義姉弟は師匠と一緒に地方を巡り、パンソリを披露しながら技を磨いていた。3人は血縁以上に音楽(音、リズム)で結ばれた”家族”だった。だが、トンホは厳しい修行と義姉への思いに耐えられずに、逃げ出してしまう。残ったソフォンは、技の継承を目指す過程で視力を失うが、師匠の従順な娘で通し、後には妻となってしまう。トンホへの思いを秘めたまま。

 一方トンホは、軍隊に入ったりするが、結局、パンソリの世界と縁が切れず、所属劇団の花形歌手と結婚してしまう。2人は何度か出会う機会があったが、互いの気持ちを口にすることはなかった。そんな中、師匠の死の知らせが届く。 葬儀の後、結婚指輪を外し、トンホから以前もらっていた指輪をはめるソフォン。だが、その後も2人が一緒になることはなかった。今は亡きソフォンの歌声を思い出し、一人太鼓をたたくトンホ。やっと2人は、時を超えて一緒になれた。

 見始めてすぐ、既視感に襲われた。そう、「風の丘を越えて」(1993年)とダブってしまうのだ。「風の丘−」は、このナントの映画祭(確か3度目の来訪)で出合い、賞は逃したけれど「韓国映画はすごい」と思い知らされた作品で、日本の韓国映画ブームの先駆けとなった。

 喜怒哀楽を歌と太鼓だけで表現するのがパンソリだが、カギになるのが「恨(ハン)」の思い。その感情を生み出させるために、毒薬を盛って視力を奪う師匠と、それにも耐えてパンソリに命をかける弟子。グォンテク監督が57歳の時の作品。芸へのすさまじい情熱に圧倒されたとともに、韓国でも伝統芸能の継承が問題になっているのだな、と感じたことを思い出す。

 あれから14年。監督のパンソリへのまなざしは優しくなったように思える。

「風の丘−」では厳しい芸の世界が中心で、ほのかな姉弟愛は脇役だったが、今回は芸とともに生きる人たちの情愛に比重が置かれている。まさに80年代以降の彼の作品のエッセンスが詰め込まれているように感じた。

 モロッコのラティフ・ラフォール監督の「サミラの庭」は、女性を抑圧する田舎社会の現状に一石を投じた作品。

 サミラは親の勧めで、農場経営者と結婚したが、夫はインポテンツで、世間体と父親の介護役を必要としていただけだった。サミラの気持ちは、義父の面倒を見ていた夫のおいファルクへと向かう。だが、それを知った夫はファルクを遠ざけてしまう。今日もサミラは義父の脇に座って庭を眺める。

 庭付きの一軒家は、田舎での権威の象徴。ラフォール監督は、サミラを情感豊かで魅力的な女性として描く一方で、男たち(社会)が宗教的やモラルを理由に女性を閉じ込める理不尽さを静かに訴える。カザフスタンの「チュガ」では、ヒロインが社会の枠から飛び出していくが、サミラは飛び出せないままだ。カザフとモロッコの今が違うということなのだろうか。

 中国のチャオ・リャン監督の「罪と罰」はドキュメンタリー作品。舞台は北朝鮮と中国の国境地帯。駐在所の若い中国人警備員の日々を描く。

 オープニングでは警備員たちが、寝具を畳んでいるのだが、しわ一つないように懸命に取り組む。規則の徹底を示すものの、その裏面で形式主義に陥っていることも暗示して、意味深長だ。木材伐採者への詰問、時には暴行も加わる。ここまで撮っていいものなのかと、恐ろしくなったほど。犯罪者に対する刑罰もキャプションで表示される。北京五輪を前に中国が「順法」を呼び掛け、摘発を強化していることと関係あるのかと勘ぐってしまう。リャン監督は「じっとしていればいい、これも経験さ」という関係者のひと言も紹介しながら、国家の存在意義、改革の推進と抵抗で揺れ動く現代中国をあぶり出す視点も見いだそうとしているようだ。

 イランの「10話+4話」はマニア・アクバリ監督のドキュメンタリータッチの作品。

 アッバス・キアロスタミ監督の「10話」(2002年)の続編といえる。「10話」は、車を運転する女性が代わる代わる助手席に乗る息子や姉、娼婦たちと会話を続けていくさまを、車内に固定した2台のデジタルカメラでとらえたもの。息子への愛情表現に悩む女性は、愛や悩みについての打ちあけ話に付き合う中で、息子との関係を見いだしていく。狭い空間での話だけで、人間への深い洞察に優れた作品で、ドキュメントとフィクションの境界を乗り越えていた。

 アクバリ監督は、キアロスタミ作品の女優。同じ設定を取りながら、4人との関係で生活やフェミニズム、自由のためのもがきなどついて、キアロスタミとは違う切り口で迫って、「10話」の続編だけには終わらせていない。

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パレ・ロワイヤルに、マルシェを圧するように出現した大型メリーゴーラウンド

 週末が近づくと街中はクリスマス・モードに乗せられて、人出がどっと増える。通りのイルミネーションに加え、この時期特有の”マルシェ(出店)”も登場した。木造の1坪程度の小屋で、扱う小品はクリスマス用品の小物からお菓子、装身具、お香まで本当にさまざま。市街地の中心、パレ・ロワイヤルではライトアップされた噴水を囲むようにマルシェで並び、より大型のメリーゴーラウンドも登場した。

 3年前は、通りのイルミネーションが豪華だったが、今年はどこか控えめ。物価上昇が止まらないのに、給与が追いつかないことが影響しているのだろうか。

修復が終わった大公城。芝生ではカップルが楽しそうに抱き合っていた

 ブルターニュ大公城の長年にわたる修復作業が完了したと聞いたので、出掛けてみた。城内の建物は色鮮やか、回遊コースも設定されていた。民俗資料館が復活するなど歓迎する点が多いのだが、船着き場が回遊コースに取りこまれて開放的になったのだけは個人的に残念だ。フランス統合がなった後の城は、政治犯の収容所になったという。政治犯をこっそり運び入れたと思われるロワール川に面した船着き場は、以前のようにカギが掛けられて秘密ぽい方が、当時への思いを膨らませることができるようの思うのだが。

筆者紹介

桂 直之(かつら なおゆき) 北大卒。1972年、河北新報社入社。学芸部で映画評担当。山形総局長、編集局次長を経て2007年4月から三陸河北新報社常務。三大陸映画祭には1989年以来、13回訪問。NPO法人「シニアのための市民ネットワーク仙台」の会報にコラム「なんでもシネマ」を連載中。地域FMラジオ石巻で月2回「シネマ・パラダイス」を担当している。